びよう道 vol.26 VeLO赤松美和さん 〜いったん「やる」と決めてしまったら、もう走り出すしかない。亡き恩人 植村隆弘さんが私に教えてくれたこと〜

VeLO 立ち上げから2年間は外部の仕事をしないと決めた

 

 

サロンに入って2年半でスタイリストデビューしました。サロンワークが大好きで、サロン外に向けての仕事は好きではないとハッキリ言っていました。私の判断基準は「面白いか面白くないか」「ときめくかときめかないか」。セミナーや業界誌の撮影、ヘアショーのステージワークなど、外部の仕事が中心になることが怖かったんです。

 

だから私は「そういうの好きじゃないです」と植村さんに伝えていたんですよね。それでも適性があると思ってもらえていたのか、たくさん仕事を振ってもらっていました。当時はサロンワークに専念するという選択肢がなかったし、外部の仕事を通じて自分の中に落とし込めるものもあったから、文句を言いながらもやるみたいな感じでしたね。

 

 

その後、鳥羽と私でVeLOを立ち上げました。立ち上げから2年間、外部の仕事を一切やらないと決めたんです。再び外部の仕事も受けることにしたのは、内田聡一郎(LECO)をはじめとするスタッフが成長してきたことも理由でした。彼らに外部の仕事を見せたかったし、美容師の「選択肢」を提示してあげたかったからです。

 

 

DADA CuBiCにいたころは、外部の仕事でアウトプットするばかりで、インプットする時間もなく、アイディアが枯渇していてもなんとか捻り出していたんです。

 

「やりたくない」と言っている自分がダサく感じた

 

 

そんなあるとき、植村さんから電話がかかってきて、DADA DESIGN ACADEMYの「D1(スター育成オーディション)」のステージに出ないかと誘われたんです。光栄には思うものの「少し考えさせてください」とお話しして、返事をのばしたんです。

 

しばらく「やりたい」「やりたくない」の間で揺れ動いていたのですが、ふと「やりたくないとか言っちゃうのは、すごくダサい気がする」と思ったんです。自分はただ「やる」と決められなかっただけなんじゃないかって。そう思ったんですよね。

 

 

「業界向けの仕事よりもサロンワークが好きだから」っていう理由も、一種の隠れ蓑みたいなものです。ステージの上って聖域みたいなもので、命を削ってやるものというイメージがあったんですよ。実際に植村さんはそのくらいの意気込みで臨んでいたし、ステージで人の心を動かしていました。私は最初にその姿を見ていたから、「同じことを私がやるのは無理」と思ってしまっていた。だから「やりたくない」って言っていたんです。

 

 

でも「やる」と決めてしまえば、もう走り出すしかない。そういうことなんだなと思って「ぜひやらせてください」と植村さんに返事をしました。あのD1は私が初めて前のめりになって向き合うことができたステージです。やりたい、やりたくないではなく、やるかやらないか。その決断と挑戦を経て、少し目線が上がり、一人前に近づくことができたかなと思います。

 

>>やらなきゃいけないという「思い込みのサークル」から飛び出せ

 

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