びよう道 vol.23 NORA 広江一也さん 〜日本一忙しい美容室で過ごした波乱万丈の日々。理不尽で苦しい時間も、過ぎればおいしい話のネタだ。〜
水を飲みにいく時間すらないので、シャンプー台のお湯でしのいだ
「日本一の美容室」と言われるだけであって、日本一忙しい美容室でした。日本武道館でヘアショーをしたり、全国でヘアショーをしたりしていたんですよ。ほどなく『シザーズリーグ』(フジテレビ系)をきっかけにカリスマ美容師ブームが起こりました。
来客は2店舗で1日300人以上、予約していても1時間、2時間待ちはザラ。営業中にテレビカメラが入って密着取材をしたり、CM撮影をしたりしていました。カリスマ美容師だけじゃなく、これからデビューする新人も密着されていましたからね。めちゃくちゃ注目を浴びていました。全国の美容師さんたちが朝から晩までお店の外から中を覗いていて、技を盗もうとしていたのも印象的でしたね。
当然、アシスタントに求められる技術レベルも高くて、シャンプーすらなかなか合格できない。半年かかって出来なかったらクビと言われていたのですが、合格できずに土下座して「ここで続けさせてください」とお願いしたことも。シャンプーに合格した後も大変で、毎日ものすごい数のお客さまがくるから、開店から閉店までずっとシャンプー台から離れられないんですよね。ご飯を食べる時間も、水を飲む時間もないから、シャンプー台のお湯を飲んでしのぎました。器用なヤツはパンをタオルの棚に隠していて、シャンプーしながらこっそり食べていたんですよ(笑)。
営業後も毎日朝の4時くらいまで練習して、翌日撮影の準備のために朝6時にサロンにくるというような生活でした。で、朝8時から撮影予定のモデルさんと連絡が取れないので、6時からモデルを探すとか、そんなこともしょっちゅうありましたね。ちなみに、当時の社長は全国の美容師さん、主にオーナーさんとお酒を飲みながらアドバイスをしていて、夜中の2時くらいに一緒に飲んでいた人を連れてアシスタントの練習を見にくるんですよ。日本一の美容室は、アシスタントも日本一練習していることを見せたいから。なので、もしそこで練習していないと地獄です。ただ、実際に僕らは日本一練習していたと思います。
死にそうになりながら修行時代をくぐり抜けましたが、辞めたいと思ったことは一度もありません。毎日大なり小なりトラブルが起きるし、悩んでいる暇もなかったですし、めちゃくちゃ叱られたときや理不尽なことがあったときも、笑いのネタに変えていました。だから、大変なことがあっても「おいしい」としか思っていませんでしたね。「こんな経験はほかのところではできないだろうな」と思っていましたから。
3年間のアシスタントを経てスタイリストになりました。新規のお客さまや、先輩からの引き継ぎのお客さまがたくさんいたので、デビュー直後から1日20人くらい切っていたんですよ。15分単位で予約とるので、切り直ししている時間はありません。先輩からは「一発で決めろ」とよく言われていました。お客さまは日本一の美容室だと思って期待してきています。だから、どんなオーダーに対しても「できない」とは絶対に言えない。技術が追いつかなくて、クレームになったこともあります。開店直後から閉店までずっと叱られぱっなしだったこともありました。予約が詰まっているので、お客さまの施術の合間にひたすら謝り続けました。大変な思いをたくさんしましたけれど、それだけやれば上手くなります。僕は日本一、お客さまの髪を切っている新人スタイリストだったと思いますよ。
>理解の範疇を超えていたとしても、若い子のやり方を否定しない