びよう道 vol. 19 stair:case 中村太輔さん 〜カラーリストという職業を確立させるために走り続けてきた。ヘアカラーの文化が日本に根付くまでは止まれない〜
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
第19回目は、stair:caseの代表であり、業界を代表するカラーリストである中村 太輔さん(なかむら だいすけ)さんに、修行時代のマインドや象徴的なエピソード、カラーリストとして業界のパイオニアと言われるまでの道のりについて伺いました。1番を目指したい美容師さん必見のインタビューです。
美容師になりたいのに、ヘアサロンに行ったことがなかった
高校時代に手の大怪我をして、手術で奇跡的に復活したことがきっかけで「手を使う仕事がしたい」と思い、美容師を目指しました。でも、ずっと床屋さんに通っていて、ヘアサロンに行ったことがなかったんですよね。
高校卒業後は国際文化理容美容専門学校渋谷校に進学。就職活動が始まったころもまだヘアサロンに行ったことがないから、先生に対して正直に「どこに行っていいかわかりません」って言ったんです。そうしたら、「大きなサロンに行け」と。先生に紹介された原宿の有名店に行ってみたのですが、雰囲気が合わないと感じてしまいました。でも、せっかく原宿に来たからもう1件見学しようと思って入ったのが前職のサロンだったんです。気に入ったので「ここに入りたい」と伝え、後日面接を受けたら、なぜかわからないけれど採用されたんですよ。ヘアサロンに行った事もないのに、入社しちゃったんです。
でもどうせやるんだったら、この業界で一番取りたいなって思ったんですよ。同期には菅野 太一朗(現LANVERY)がいました。彼は後にACQUAでも活躍していたのですが、口を開けば美容のことしか出てこない超がつくほど美容バカだったんですよね。こういうヤツが業界のトップになるんだろうなって漠然と思ったんです。だから、彼の真似を必死でしました。
彼は365日練習するような人だったから、僕もやるしかないんです。彼が先輩の撮影についていくと言えば、「俺もいきます!」とついていく。とにかく彼に追いつき、追い越さないと業界トップにはなれないと思ってやっていました。正直すごく辛いんですが、やってやってやりまくっていたら、いつしか僕も美容が好きになっていたんです。
>右も左も分からないのに「2カ月でデビューしろ!」と言われる