JIL BLAN 和泉貴大さんのびよう道 〜借金300万円、美容師売上6万円……!どん底から100店舗展開への逆転劇〜
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、洗練されたショートカットと立体感のあるハイライトで人気の『JIL BLAN(ジルブラン)』の代表和泉貴大(いずみたかひろ)さん。今でこそ、技術者として一流で、敏腕経営者としても知られる和泉さんですが、借金を抱えながら月売上が6万だった経験もあるのだとか。そんな和泉さんの「びよう道」に迫ります。
ひたすら熱いだけの、扱いづらいヤツ
僕は中学のときからカリスマ美容師になりたいと思っていて、福岡の美容専門学校を卒業したあと福岡や東京の有名店を片っ端から受けたんですけれど、全部落ちちゃったんですよね。
今振り返ると、有名店に落ちまくった理由がよくわかります。とにかく、「俺はできます!」と自信満々。面接では聞かれてないことまでしゃべりまくる。熱量は誰にも負けないけれど、空回りしていました。お店からは「扱いづらいヤツ」に見えたのでしょう。もし今の僕が当時の面接官だったら熱い人間が好きなので、将来性を見込んで採用しますけれどね(笑)。
結局、卒業後は東京の地域密着型サロンで働くことに。「カリスマ美容師になる」と言って長崎から上京したのに、堕落した生活をしていたら親に顔向けできないと思うもののやる気が出ず…。練習熱心でもなかったし、休日はただひたすら寝るだけ。「このままじゃダメだろ」という焦燥感がいつもありました。
ただ、僕は最初に受けた有名店に何回も履歴書を送って、採用のチャンスをうかがっていたんです。3回目の応募で採用されて、渋谷や銀座に出店している超有名トレンドサロンへ。そこから真剣に美容と向き合う毎日が始まりました。
営業前の早朝から練習やモデルさんの施術をして、営業後は0時半の終電までサロンに残る。休日は必ず朝10時から20時まで客ハン。SNSがない時代だったので、iPadに自分の作品写真をリスト化して、街ゆく人に見せていました。
環境を変えたら、自分も変わることができた
客ハンをしていたときは、1日大体100人に声をかけて、実際に来てくれるお客さんやモデルさんが10人ほど。少ない時は5人。そんな感じでしたが、その中から長期的なお客さまになってくれる方もいて、今でも10年以上の付き合いの方がいます。
やっぱり頑張れる環境に身を置くことってすごく大事だし、サロンの看板も背負っているから、「やるしかない」っていう気持ちになれる。各店舗のアシスタントやスタイリストの売上順位も張り出されていたから、数字に対する競争意識が芽生えました。ただ、技術だけではなく、売れるためのマインド、ビジュアルが備わっていなかったので、厳しくダメだしされていましたね。アシスタント時代は服装や髪型がダサすぎて「帰れ!」と言われたことは一度や二度じゃなかったです。
絶対に成功したかったので、「売れている人と自分は何が違うんだろう」と考えて、男性と女性の人気スタイリストの一挙手一投足をパクることに。「この人はうまい」と感じた人に積極的に質問し、質感や写真の撮り方、衣装選びから所作まで、徹底的に真似しました。
僕は長瀬智也さんみたいな男くさいバイカースタイルが好きだったのですが、お客さまウケを狙って清潔感を重視し、シンプルで親しみやすいスタイルに切り替えることに。具体的には、黒や白のスニーカーに、ブルックスブラザーズのオックスフォードシャツ、髪型は金髪だけど短めの清潔感あるスタイルに。
そうしたら、すぐに結果が出始めて、「答え合わせが早いな」と感じました。
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