NNN NOBUさんのびよう道 〜常にトップを目指す。常識を超え、我流の道を極める。
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、破天荒なキャリアの持ち主であり、美容業界の変革者の一人に数えられるNNN(スリーエヌ)の代表、NOBU(ノブ)さんの「びよう道」に迫ります。ヘアメイクとして雑誌の誌面をにぎわせ、Instagramではイチ早くインフルエンサーに。さらにALBUMのプロデューサーとして美容師の働き方を変えてしまったNOBUさんのこれまでの歩みを語っていただきました。
強豪校の柔道部所属なのに、7色のボウズに口ピアス
僕はずっと我流で生きてきました。高校時代は強豪校の柔道部に所属。硬派な面の一方で、ボウズ頭を7色に染め、オカンのマキシスカートを履き、ピタピタのTシャツを着て、口にピアスした奇抜な姿でアメ村に通っていました。『Smart』などのストリートスナップにも何度も載っています。どうしても目立ちたい、日本中に知られたいという気持ちが溢れ出てたんですよね。とは言え服や髪が自由な学校だったわけではないんです。柔道部の顧問にピアスを引きちぎられたこともあります(笑)。
髪の毛をいじるのも好きだったので、自分が住んでいた団地の敷地内で人の髪を切りまくっていました。高校生の頃だったので当然、我流のカットです。でも僕の美容師の原点は、そこにあるんですよ。
美容専門学校に進学後は、何をやるにしても「一番になりたい」ということしか考えてなくて。自分にしかできないようなことをやり遂げることに全力を注いでいましたね。例えば、7分30秒でワインディングを全頭巻くとか。それができたら、目立つじゃないですか。ワインディングの練習を、肺炎で入院中のベッドの上でやったこともあります。友だちもさすがに「なんでそんな状態で練習するん?」と驚いていました。とにかく一目置かれたいので、努力の過程も見せつけて、きっちり結果も出して、アピールする。それを繰り返していました。
人の下で働かされるのは性に合わない
自分でどんどん仕事を覚えていったので、20歳のころにはスタイリストとしてやれる自信がありました。正直、人の下で働くのは性に合わないので、早々にアシスタントを勝手に卒業しています。昔は売上が評価の基準だったので、どこの店舗に行っても絶対に一番になることを目指していました。どんな手段を使ってでもです。
やるからには、自分も店も一番にしたい。他の美容師が絶対にやらないことも躊躇なくやりました。例えば、チラシにパイの実をつけて配りまくったり、企業の受付に飛び込んで「この会社の人全員担当したいんですけど」と飛び込み営業して、名刺を配って回ったり……。その繰り返しで指名客を獲得していったんです。
やがて、美容トレンドにノッたり、メディアに出たりするなら、やはり東京に出るのが必然だと思うようになりました。ただ東京に行くだけじゃなく、トップを目指すなら表参道や原宿、銀座といった、スポーツでいう武道館のような場所に行かなければならないと考えていたんですよね。
でも、いざ東京の有名店に就職してみると「この環境は自分に合わない」と感じました。5年も6年もかけて一人前になるのは時間がかかりすぎる。もっと早く結果を出したかったし、有名店の先輩の技術を見ても「うまい」と思うことはなかったので、物足りなくなって大阪に戻りました。