RUALA角薫さんのびよう道 〜大切なことは、亡き師匠とお客さまに教えていただいた。女性美容師として駆け抜けてきた30年の紆余曲折〜
大事なことはお客さまから学んだ
忘れられないクレームをもらったことがあります。お客さまのシャンプーをしていたとき、私は手を動かしながら、後輩の動きを気にして見ていたんです。手の動きが少し疎かになっていたんだと思います。「私は帰る!お前は接客業向いていない!」と叱られてしまったんですよ。
思えば、撮影現場に連れて行ってもらうことばかり考えていて、目の前の仕事にちゃんと向き合えていなかったのだと思います。それがふとした瞬間に出てしまった。「目の前の仕事にもっと向き合おう」と決意しました。それからです。シャンプーで指名をいただけるようになったのは。
サロンの代表だった今は亡きカリスマスタイリストのアシスタントを務めた2年間にも、一生忘れられない学びが詰まっていました。彼は忙しいこともあって、アシスタントにどんどん仕事を任せてくださったんです。
髪が膨らみやすいお客さまのブローを任せてもらったとき、上手くできずに「私が自分でやるからあなたはやらなくていい!」とお客さまに言われたことも。それが悔しくて、何度も家で練習しました。それからしばらく経って、そのスタイリストが忙しくて手が離せないとき、同じお客さまが「彼は忙しいだろうから、あなたがやって」とブローを任せてくれたんです。それから、そのお客さまのブローは自分の仕事になりました。私は仕事を任せて見守ってくれた師匠と、お客さまに育てていただいたと思っています。
分厚い手帳に予定がパンパンの美容師になりたかった
あるとき、雑誌の撮影のためについていった森内 雅樹さん(現:Un ami)の手帳を見たんです。分厚い手帳に予定がビッチリ詰まっていて「カッコいい!」と思ったんですね。私もデビューしたら同じ手帳を買って、パンパンになるまで予定を詰められる人になると決めました。なので、定休日に撮影の仕事が入るとうれしかったですね。誰かに求められている証拠ですから。
入社して4年でデビューし、5年目には入社時の宣言通りにトップスタイリストに。業界誌の撮影や、セミナーの仕事も増えました。転機になったのは、一般誌の撮影で出した作品が、今でいう「バズった」こと。若手美容師の特集で、私はショートのスタイルを切ったんですが、読者人気ランキングで1位に。3カ月連続1位で、1年間のランキングにもランクインしたから、その雑誌を見たたくさんのお客さんが指名してきてくれたんです。
売れっ子になって後輩からも慕われるようになりました。でも、後輩から「角さんの夢はなんですか?」と聞かれたときに「次は結婚と出産かな」みたいに話していたんです。5年でトップスタイリストの夢はかなえてしまっていたから。でも、それってきっと後輩が期待していた答えじゃないんですよね。(…なんか他にあるんじゃないですか?)という顔をされたことを覚えています。