Violet前原穂高さんのびよう道 〜美容師は一人じゃスターになれない! 周りを味方に変える「やさしい九州男児」が歩いてきた道〜
堪忍袋がプチン!「アンタがこの店の空気を壊してんだろ!」
サロンに入ったばかりの頃は萎縮していましたけれど、子どものころから筋を通すことを教えられてきたので、理不尽なことに対しては相手が誰だろうと平気で文句を言っていました。
今でもよく覚えているのはアシスタントリーダーだったときのこと。お客さまを満足させたい一心で、毎朝自主的にアシスタントを集めて朝礼をしていたんです。そこで、みんなで意見を出し合っていい雰囲気でサロンワークに臨んでいました。
でも、それが気に入らない先輩もいたんです。「大していい意見も出ないのに、お前らの朝礼、意味があんのか」と理不尽にキレられて、思わず言い返してしまったことがあったんです。「アンタがこの店の空気を壊してんだろ!」と。そのあとはもうずっと険悪ムードですよね。
キレられた先輩とはずっと仲が悪かったんですが、僕がスタイリストになってその先輩の売上を超えたんです。最初は多分、面白くなかったと思います。
でもあるとき、「昔のことは水に流して、俺に撮影のやり方を教えてくれ」と言われたんですよ。それからは仲直りをして、僕がやめるときに先陣きって集合写真撮ってくれたのがその先輩でした。キレられた時は、本当にくたばれと思いましたけれど、今は感謝の気持ちしかありません。全ての先輩、後輩に感謝です。
仕事に行ったら必ず次の仕事をもらって帰ってくる
AFLOAT時代から今に至るまで、誰よりも撮影の仕事を多くやってきた自負もあります。でも、もちろん最初からチャンスが与えられたわけじゃありません。はじめは自分から取りに行きました。
先輩の撮影についていくとき、必ず企画書を持参していました。撮影の現場には必ず雑誌の編集さんやライターさんがいるので、そこに自分が考えたヘアスタイルと企画書を添えて説明していたんです。実はこれ、AFLOAT 代表の宮村浩気さんから教えていただいたことなんですけれど。「仕事に行ったら必ず次の仕事をもらって帰ってくる」というつもりで撮影に行っていました。
小さな仕事でも喜んでやったし、どんな仕事も断りませんでした。飲み会にも自分からお願いして参加させてもらう。もちろん、作品づくりも企画書づくりも欠かさない。そうやって準備をしているから、いざチャンスが来たときにそれを掴めるものなんです。
押切もえさんや山田優さんがバリバリ活躍していた雑誌全盛の時代、CanCamに出ることがスターへの道でした。その当時、めちゃくちゃ影響力があって死ぬほど怖いライターさんがいたんです。気に入ってもらうために「誰か買い出しに行ってきて」と言われたときは、真っ先に手を挙げてお菓子を買いに行きました。でも、買ってきたものに対して「なんかこれ、おばあちゃんの家にありそうなお菓子ばっかりだね」と言われたんですよ。ビューティーの現場に歌舞伎揚みたいなお菓子を持っていったわけだから当然ですよね。でも当時は正解がわからなかった。今ならヨーグルトとかナッツとかヘルシーでモデルさんの喜びそうなものを持っていったと思います。