Violet前原穂高さんのびよう道 〜美容師は一人じゃスターになれない! 周りを味方に変える「やさしい九州男児」が歩いてきた道〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

今回は、元AFLOATの幹部であり、現在は表参道、名古屋、横浜、銀座にブランドサロンVioletを経営している前原穂高(まえばらほだか)さんです。

前原さんが美容師になったのは、カリスマ美容師ブームの余韻が残る時代。スター美容師が揃うAFLOATでキャリアをスタートしました。華やかな世界の裏側でもがいていた時代もあるそうです。そんな前原さんが歩んできた「びよう道」に迫ります。

 


 

曲がったことが大嫌いな九州男児

 

 

あらためてこれまでの僕の歩みを振り返ると、子どものころ過ごした環境や、母親の言葉が人格形成に大きく影響していると思います。僕は九州男児のカルチャーが色濃い宮崎で生まれ育ちました。今の時代には合っていないけれど「男は弱い女を守るもの」という気質があるんですよ。これが今も自分のなかで曲げられない価値観として生きています。

 

母はかなり口うるさい人で、とくに筋の通らない行動に対して厳しかったです。「ありがとう」「ごめんなさい」をすぐに言えないとダメ。感謝も、謝罪も早ければ早いほどいい。「好きこそものの上手なれ」という言葉も母からよく言われていました。好きなことなら頑張れるし、一番を目指せる。実際、ここまではその言葉通りの人生を歩んでこられたかなと思います。

 

 

僕は受験勉強に嫌気がさして美容師に進路変更しました。カリスマ美容師に憧れていたんです。専門学校卒業後は上京してAFLOATに入社。今だから話せますけれど、最初の3カ月はかなりしんどかったです。まだ宮崎の訛(なま)りが残っていたので、「お前は『いらっしゃいませ』と言うな」と言われたんですね。今なら完全なパワハラですが、その当時は「洗練された美容室に訛りはふさわしくないと」考えられていたのだと思います。

 

何かミスすれば「田舎に帰れ!」が先輩の口グセでした。何か教えてくれるわけじゃなくて「見て覚えろ」「空気を読め」っていう時代だったので、しょっちゅう叱られていましたね。でも、叱られても落ち込む暇がないくらい忙しかったんです。カリスマ美容師ブームに憧れて入っているから、少々の理不尽には耐える覚悟もありました。ここではちょっと話せない破天荒な出来事も、毎日のように起こっていましたけど、自分も周りもみんなカリスマになってやると思っているので乗り越えられたんだと思います。

 

寝坊しないためにあえて床で寝る&タクシー通勤で借金を重ねる

 

 

どんな状況でも練習するのが当たり前だと思っていたので、朝6時から撮影なら朝5時にきて練習していました。もちろん夜は深夜までサロンにいたので、寝る時間がなかったんです。

 

ベッドで寝ると寝坊してしまうので、あえて自宅のフロアで寝るという荒技を使っていました。フロアだと寝心地が悪いから1時間半の睡眠サイクルで目が覚めるんです。2回寝れば3時間。それだけだと睡眠時間が足りないから、移動のタクシーで寝る。お金がないのにタクシー移動だったので、そのために借金までしていました。今考えるとアホだなと思いますけど、当時は激動だったので自分を顧みる暇もないんですよね。

 

そうまでして寝ているから営業中は眠くならないかといったらそんなこともなく、シャンプーしながら寝てしまうこともありました。で、気がつくとシャンプーが終わっている。ボクサーが気を失ってもパンチを繰り出している話があるじゃないですか。あれと同じ状態でシャンプーしていたんじゃないかって思いますね(笑)。

 

 

そんな過酷な環境でしたが、たとえばクリスマスイブとか、あえて人がやらないときにも練習するようにしていました。人が休んでいるときこそ練習をする。その積み重ねが自信になると思ったからです。その甲斐あってか、当時はデビューまで7〜8年かかるのも当たり前でしたが、僕は2年半でデビューすることができました。

 

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