macaroni coast中澤保人さんのびよう道 〜「木を見て森を見ず」ではつまらない。ヘア、モデル、メイク、服、空間…全てが調和し、相乗効果を生み出す世界をつくる〜
1年半でデビュー後、撮影を月間10本ペースでこなす
アシスタント業務にもこだわりを持って取り組んでいました。ちょっと生意気かもしれませんが、「自分がついているスタイリストのお客さまは、必ずリピートさせる」という気持ちでいました。当時のスタイリストは職人気質でお客さまとのコミュニケーションが得意ではない人もいたんです。なので、あまり出しゃばらない程度に、お客さまに美容の知識を提供したり、デザインの提案をしたりしていました。
スタイリストデビューしたのは入社して1年半のころです。当時は3年から4年くらいでデビューするのが普通だったので、周りと比べて随分早かった。当然SNSなどの集客ツールがありませんでした。だから、カットモデルをいかにお客さまにするかが勝負だったんですね。僕はカットモデルをリピート客にする確率がかなり高かったので、それも評価されていました。技術的にはまだ未熟な部分もあったかもしれません。でも、髪型だけではなく、トータルでデザインして、似合わせることを意識していたから、モデルさんに支持してもらえたのだと思います。
その頃、現DaB代表の八木岡聡さんはSHIMAに在籍していました。ニューヨークで活躍後に帰国し、DaBを立ち上げたとき、僕もオープニングメンバーの一人に加えてくれたのです。尊敬する人たちとゼロからブランドを立ち上げたいという気持ちもあったので、ついていくことに決めました。
今、思い返すと雑誌の撮影などの仕事もたくさんこなしました。やりたいと願っていた仕事なので、どんどんチャレンジしました。ずっとメッセージ性のある表現をしたいと思っていたので、楽しみながらやらせてもらっていましたね。『Zipper(祥伝社)』や『SPUR(集英社)』などの雑誌が数多く出てきた時代なので、月に10本は撮影をやっていました。それだけやると、上手くなるものなんですよ。