MASA GINZA HAIR 大川 雅之さんのびよう道 既存指名と紹介だけで月1000万円を売り上げる日本一優しい美容師が本当に大切にしていること
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は長年、TAYAグループのスタイリストの中で、売上と指名数のトップを取り続け、ここ数年は月売上1000万円以上、年間総売上1億円以上という規格外の美容師、大川 雅之(おおかわまさゆき)さんのびよう道に迫ります。2023年8月には、26年間勤めたTAYAグループを卒業し、銀座にてオリジナルブランド「MASA GINZA HAIR」を立ち上げました。今回はそんな大川さんの若手時代の話と、後進の美容師への想いを語っていただきました。
24歳で美容師になった元プロボクサー
僕は22歳までプロボクサーだったので、美容師の世界に入ったのは24歳です。先輩はみんな年下でした。それが嫌だったわけではないですが、とにかく早くデビューしたいという気持ちが強かったです。そして、デビューしたらTAYAのスタイリストのトップに立ちたいと思っていました。
最初の2年間は、とにかく自分が上手くなるために時間を使いました。上手くなるためには、ウィッグを切るよりも、人の頭のほうが絶対にいい。なぜなら、一人ひとりの髪質や骨格の違いを体感できるし、ただ切るだけでなくコミュニケーションを学ぶことができるからです。それに、相手が人だから、緊張するじゃないですか。僕は緊張感がある中で技術を磨くことが、上手くなる秘訣だと思っています。
カットモデルさんを探すのは大変でした。当時は、お店の前でお声を掛けて、名刺を渡して身分を明かし、来てもらうやり方です。「カットさせてください」というと、モデルさんも身構えてしまうので、「タダでカラーさせてください」とお願いするのがいつものパターンでした。そこから、「このカラーにするなら、髪型を変えたほうがお似合いになります」とカットに誘導していたんですよ。
売上を上げるために、来客数を増やすことにこだわった
ウィッグで練習することを否定するつもりはありませんが、カットモデルさんに練習させてもらうほうが早く上達すると思います。でも、実は僕のデビューはそんなに早くなかったんです。というのも、当時の店長がなかなかOKを出してくれなかったんですね。悔しくて、誰よりも練習しました。ある時、店長は「お前はデビューしたらすぐに俺を抜くと思ったから」とぶっちゃけたんです。多分、悪気なくそんなことをしていたんですね。今では笑い話になっています。そのおかげで反骨心が強くなったので、むしろ僕は店長に感謝しているくらいです。
デビューして2年で、売上と指名でトップになりました。売上を分解すると、単価×人数です。僕より技術が上手い人はいるし、すぐに単価を上げられるわけでもありません。そうなると、客数を増やしていくしかないです。腕もないし、スピードも速いわけではないので、とにかく長時間働くことで、お客さまがいつでも来られるようにしました。高単価で時短、しかも高い品質というのが理想だというのはわかります。けれど、当時の僕は地べたを這ってでも少しずつ上に行ければいいと思っていたんです。たくさん切るから上手くなるし、スピードも速くなる。質を求めるのはそこからでいい。そんな考え方でしたね。