THE REMMY 上田竜二さんのびよう道 〜 ヘアコンテストを連覇しても有頂天になれなかった。自分に対して簡単にOKを出せないからこそ、ずっと成長できる 〜
遅刻はするわ、練習はしないわの「ダメダメの1年目」
でも、僕の1年目は本当にやる気がなく、練習にも身が入っていないし、遅刻したりもしていました。しかも結構、遊んで過ごしていました。東京って魅力的な街じゃないですか。完全にそちらに気を取られていて、美容に前のめりではなかったです。
どの仕事に入っても全部ダメで、先輩にも怒られるばかり。次第に、仕事に入ることが怖くなり、ちょっと逃げていましたね。もともと人見知りなので、自分から積極的に先輩やお客さまに話しかけるタイプでもありませんでした。
そんな自分が変わったのは、店舗を異動したことがきっかけです。あるとき、スタッフ会議でダメダメだった僕の処遇について話されていたようなんですが、ある一人の先輩が「環境を変えてあげよう」と言ってくださったらしいんです。多分、僕の性格を理解して、何か変わるきっかけを与えたかったのかもしれません。その先輩は、ミスをしてもうまくできなくても絶対に怒らないんです。そういう対応をしてもらっているうちに仕事に入るのが嫌じゃなくなって、先輩たちの仕事ぶりを見ていたら急に火がついたんですよね。
仕事のお手本にしていたのは、やはりその先輩がが多かったかな。カットしている様子を見て覚えたら、モデルさんにお願いして切らせてもらっていました。カリキュラムとは別に、やりたいヘアデザインをどんどん試していました。
今なら、YouTubeやInstagramなどから、技術を学ぶことができますよね。当時は見て覚えることがほとんどだったから、再現するのが大変でした。今僕が駆け出しだったとしたら、ネットでたくさん調べていたでしょうね。今の子たちが羨ましいです。
強者揃いのサロンでチャンスを掴むためにWELLA TRENDVISIONに出場
スタイリストデビューまで順調だったわけではなく、何度も気持ちが落ちていました。本当はよくないんですけれど、僕は弱音を吐くタイプだったんですよ。その度に、先輩にご飯に連れて行ってもらい、慰めてもらって元気になっていました。焼肉を死ぬほど食べさせてもらって「また明日から頑張ります!」みたいな感じ。単純な男でした(笑)。先輩からしたら厄介な後輩だったと思います。
スタイリストデビュー後も、目の前に分厚い壁がそびえていました。HEARTS(Double)は、有名スタイリストが多かったので、自分を売り出すチャンスがほとんどなかったんです。当時は雑誌にスタイリストの名前が出ると、予約が殺到するような時代。サロンに撮影依頼がきたら、実力のあるスタイリストに仕事が振られますが、デビューしたてのスタイリストにはなかなかチャンスは回ってこず。実力を示すためには自分自身で何かしらアクションを起こさないと状況を打開できなかったと思います。
そんなモヤモヤしている自分の気持ちを察していたのか不意に『出てみれば?』と前述の先輩からの勧めがありWELLA TRENDVISION awardというヘアコンテストに出場することにしました。当時はお店のスタッフで美容のコンテストに出ている人は誰もいない状況だったのでみんなに全力で応援してもらったというよりは『コンテスト出るの?頑張ってね〜』という感じでわりと変わり者に見られていたように思います。