gricoエザキ ヨシタカさんのびよう道 〜たった一畳の空間から始まった破天荒人生! 夢を叶えたその先にあるもの〜
尖りすぎの若手時代、美容業界の重鎮に噛みつきまくる
僕はその後、SHIMAを辞めることになりましたが、これは僕がサロンで特別扱いされていた上に、生意気だったからです。他にも色々な問題があり、結局、サロンから出ていくことになりました。とはいえ、当時は23歳くらいでしたから、本当は辞めたくはなかったですよ。
それでも、ヘアデザインには自信があったので、スタイルブックを持ち歩いて、街で女性に声をかけまくりました。モデルハントってできて23時くらいまでじゃないですか。僕の場合は夜中の2時から4時は世の中で自分だけが成長できる時間だと思って、当時のmixiにスタイル写真をアップしたりしていました。そうやっているうちに1カ月で100人くらいの新規のお客さまが来てくださるようになったんです。とにかくやるしかなかったので、誰よりも寝ずにやっていたと思います。
gricoを立ち上げる前、フリーランスで340万円くらい売り上げていました。携帯電話を4台持って、いろんな場所を借りて、アシスタントも2人雇ってやっていたんです。その当時の僕は、もうめちゃくちゃに尖りまくっていました。若さって恐ろしくて、平気で「この業界をぶっ壊したい」とか言いまくっていて、仕事をくださった美容業界の重鎮に対しても噛みついていましたね。
1000人くらいのイベントで、ずらりと並ぶ重鎮に向かって、「なんで美容業界にはこんなに貧しい子がいるんですか。ここにいるメンバーがもう少し本気を出せばもっとよくなりますよ」と言っちゃっていましたから。偉い人に「僕もね30年間、この業界をよくしようとしてきたんです」と言わせちゃったりして(笑)。
「若いのにすごいね」って褒め言葉じゃないですか。なのに「歳なんて寝てても取れるじゃないですか。寝てたんですか?」って大御所たちを前にして言ったこともありました。今振り返ると本当に申し訳ないです。