LECO 内田 聡一郎さんのびよう道 〜「俺、マジ最高!」有頂天が人を育てる。自己肯定感を満たして高く飛べ〜

ネットでボロクソに書かれても、それを自分の燃料に変えた

 

 

今もそうなんですけど、美容師のスキルって一般の人には届きにくいんですよね。まず自分の存在を知ってもらって、初めて切りにきてもらえる。美容師一本だったら、内田総一郎を知ってもらえなかったんじゃないかな。

 

SNSもなかったあのころ、読者モデルになったから今があるというのは事実としてあると思います。あのムーブメントに乗れたから、今こうしてインタビューされる立場になれたのかなと。

 

一方で、名前が世に出たからこその苦しさも味わっています。美容師としては発展途上だから、世間のイメージとギャップがあるわけです。それこそ2ちゃんねるとか掲示板にボロクソ書かれたりして。

 

 

自己顕示欲が高い人間だったから、なんとか批判を力に変えようと頑張っていました。「とにかく技術で納得させる美容師になる」といつしかモチベーションになっていましたね。

 

3年アシスタントをしてスタイリストデビューし、エッジの効いたヘアデザインをつくるようになりました。元々はコンサバティブなスタイルのほうが得意だったから、ダメ出しされまくりでしたけれど。「カットで魅せろ」というサロンだったので、カットに自信もついてきた。技術を学ぶのもそうだし、美術館に行って何かを吸収しようとしたり、とにかくもがいていました。その上、仕事が終わったら背伸びして深夜まで遊んだりして。そんな20代でしたね。

 

サブカル、DJ、JHA…やりたいことは全部やる

 

 

美容師として成熟し始めた30代、「嗅覚」が働くようになってきました。たとえば、僕はサブカルが好きだし、それを公言してきました。サブカル界隈に面白い人たちがいっぱい出てきて、日本のヲタク文化を世界がクールだと評価し始めた。ももクロ(ももいろクローバーZ)推しの僕がサブカル界隈で出会った人も面白い人ばっかりで、人脈が広がっていった。そうして僕の世界もアップデートされたんです。

 

ちなみに、ももクロと仕事をするのが目標で、2013年にそれを叶えています。ヘアメイクもやっていたけど、それだけではなくオフィシャルDVDの購入特典の公式mix CDはDJ内田がやっているんですよ。

 

彼女たちと仕事をしたいという熱量があったからなんですけれど、自分の活動を美容だけに限らずクロスオーバーできているのは、本当にありがたいことです。「ここに全BETしたら面白いことが起こりそう」っていうのを嗅ぎわける力が、僕の強みなのかなと思います。

 

 

そして40代にさしかかり、独立してJHAのグランプリを獲ることができた。僕の頭の中のイメージだと、目の前にコップが並んでいて、そこにどんどん水を注いでいるんですよね。美容師のコップ、サブカルのコップ、DJのコップとか色々あって、クリエイティブのコップにはまだ水が満たされていなかった。だから、そこに水を注ごうとした。欲張りなんですよね。

 

JHAでノミネートされたり、ファイナリストになったりっていうのは何度かあったけれど、グランプリはなかった。だからようやくコップを満たせた。次のコップがなんなのかはまだわからないけれど、面白いことをやり続けたい気持ちは常にあります。

 

>「俺、マジ最高!」と思える瞬間は多ければ多いほどいい

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