RITZ金井豊さんのびよう道 〜努力をしている感覚はない。戦略と人脈を武器に、ただひたすらやりたいことに没頭しているだけ。〜

ニューヨークに飛び「ティーン誌の金井」を卒業

 

 

ヘアメイクの仕事が軌道に乗るとめっちゃ忙しくなるんです。雑誌を見た方がサロンにもきてくれるようになり、ほとんど休みがない状態。だけど、楽しかったですよ。その当時は22歳くらいだったから、ティーン誌の仕事が多かったんです。SeventeenやOliveなどですね。24歳からニューヨークに拠点を移しています。

 

なぜかというと、ティーンの仕事をやり尽くした感覚があったんです。30歳には独立するつもりだったから、それまでに大人向けの仕事もしたかった。でも日本にいるうちはティーンの金井豊のイメージが消えないと思ったので、ニューヨークに行ったんです。

 

 

ラッキーだったのは、日本の出版社がニューヨークで撮影することもめずらしくなかったこと。現地のコーディネーターを通じて仕事がきたし、日本のコスメブランドの仕事などもあったんです。ハイファッションの雑誌の仕事には、一流のカメラマンがくるんです。そのカメラマンに気に入られると、違う現場で声がかかる。だからやっぱり、どこに行こうが人脈が大事ってことだと思いますね。

 

編集者もどんどん担当雑誌が変わっていくので、MOREやSPUR、ananなどの仕事も増えていく。時代性もあると思いますが、大きな出版社と仕事をしていたから、どんどんつながっていきました。

 

1999年に帰国し、カリスマ美容師ブームの波に乗る

 

 

1994年から1999年まではニューヨークにいて、自分のサロンもそこで出そうと思っていたんです。ただ、ニューヨークは家賃が急に2倍になることも不思議ではないし、日本で経営するよりもリスクがある。だから怖かったんですよね。

 

ちょうどその頃、日本ではカリスマ美容師ブーム前夜。野沢道夫さんから連絡があって、「テレビに出る仕事をしませんか?」と言われたことがきっかけで、『シザーズリーグ』(フジテレビ系)に出て、カリスマ美容師ブームの波に乗ることになったわけです。そして、RITZもどんどん有名になっていった。

 

ヘアメイクが中心だったから、撮影が入ったらお客さまに頭を下げてキャンセルしていました。1日10人は予約が入っていたから、本当に申し訳なかったし、レセプションにも迷惑をかけました。でも、美容師はそこで弱気になってはダメだと思う。

 

弱気になるとお客さまに不安を与えてしまうから。それに、僕が雑誌に出たり、特集されたりすることが、お客さまのステータスになると思っていました。そして、施術後、お客さまがサロンを出てから褒められたら、また来てくれるじゃないですか。そのためにベストを尽くしていましたね。

 

>大事なのはスタイリストになった後、何をしたいのか

 

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