DADA CuBiC古城隆さんのびよう道 〜今は亡き恩師の無茶振りに応え、高いハードルを超え続けた修行時代。「チャンスをもらえる人」になれば道は拓ける。〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれもいいですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

今回は、DADA CuBiCのクリエイティブディレクター、古城隆さんです。日本最高峰のヘアクリエイティブアワード「Japan Hairdressing Awards」において、2019年と2021年の2度グランプリに輝き、クリエティブの世界では文字通りレジェンドとなりました。今回はそんな古城さんの修行時代にフォーカスし、そのクリエイティブセンスの源泉を探ります!

 


 

反抗的で「ムスッ」としたアシスタントだった

 

 

僕は大分県出身で、福岡の大村美容専門学校(現・大村美容ファッション専門学校)を卒業しています。その当時は、卒業後に国家試験があったので、試験まで練習するために地元の美容室に4カ月お世話になりました。

 

もともと東京で美容師をやりたい気持ちが強かったし、DADA CuBiCの代表、植村(故 植村隆博さん)に憧れがあったんです。それで地元のサロンを辞めた翌日に上京して、友人の家に2カ月くらい居候させてもらうことにしました。当時採用はしていなか、履歴書をDADA CuBiCに持参したのですが、返事はありません。「もうそろそろかな」と次の行動を考えていた2カ月後くらいに急に連絡がきて、面接のチャンスをもらうことができ幸運にも入社が叶いました。

 

 

DADA CuBiCに入ってすぐに「努力するということのレベルが違う」と痛感しました。しかも、当時は今よりもストイックで、全体的にピリピリした雰囲気だったんですよ。周りと自分を比較して、力のなさ、弱さをいつも感じて、モヤモヤしていました。それもあって、少しスレているアシスタントだったと思います。ムスッとしていたり、しっかり返事をしなかったり…反抗的な奴だと思われていたと思います。

 

 

カット試験の最中に寝て、クビ寸前に

 

 

そんな自分が大きく変わるきっかけがありました。それは、カットのテストと筆記試験をしたときのこと。僕は途中で諦めて筆記試験中に寝ていたんですよね。当然、叱られます。「次が最後のチャンスだ。どのくらい時間が欲しいか言え」という感じで、決断を迫られました。いい加減な態度を辞めて、自分を変え、新たにテストに挑むための期間です。そのとき僕は「3カ月だけください」と答えたんですよね。迫られているときは「1週間後に…」とか言ってしまいそうなものですが、現実的な判断が功を奏しました。そして、その3カ月間は迷いなく、技術や知識と向き合うことができました。

 

それこそ営業後に練習を開始し、深夜はもちろん朝6時くらいまで練習して、シャンプー台で寝るなど、本当に壮絶な毎日でした。若かったですし、夢中だったから頑張れたんだと思います。

 

そうして迎えたリベンジの日。植村もチェックを終えて「今まで見たベーシックテストの中で、一番良かったよ」と声をかけてくれました。普段あまり褒めない植村に褒めてもらってものすごく嬉しかったのを覚えています。本来の僕は、すごく頑固で、意地っ張りなんですけれど、そんな風に要所要所で植村がうまく導いてくれていたと思います

 

>無茶振りを乗り越えることで成長できた

 

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