Cura木藤 由二さんのびよう道 〜 技術習得のコツは「芯」をつかむこと。ムダを徹底的に排除し、仕事も遊びも妥協せずに楽しむ。〜
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、カリスマ的な人気を誇る美容師がひしめき合う有名店MINXの中でも、トップランナーの一人として輝き続け、2006年にCuraを立ち上げた木藤 由二(きとう ゆうじ)さん。お客さまからはもちろん、都内有名店の美容師からもリスペクトされている存在です。
若くしてMINXの要職を務めてきた木藤さんの「超スピード成長」の裏にあった思考法は必見です。
ドタバタの店内で「木藤、今から行けるか?」といきなりデビュー
独立前はMINXで働いていました。僕が入社したころは、今会長をされている高橋マサトモさんから直々に指導を受けることができた時代です。デビューのタイミングは時代時代によって異なるのですが、僕は2年目にデビューしています。
今でもよく覚えているのですが、その日はMINXが雑誌で取り上げられた直後で、お客さまが殺到していました。そのような中、新規のカップルのお客さまがご来店されたのですが、すぐに対応できるスタイリストがいなかったのです。それでも高橋さんは、お客さまを断りたくなかったのでしょう。「岡村、木藤行けるか?」といきなり言われて、それが僕と岡村(現MINX社長岡村 享央さん)のデビューとなりました。カップルの男性は僕が担当し、女性は岡村が担当しました。
僕はできるだけ早くデビューしたいと思っていたので、「待ってました!」と思った反面、「え、今?」という驚きもありました。緊張しなかったわけではないのですが、お客さまに不安を感じさせるわけにはいきません。ある意味開き直って堂々と自分らしさを出し、MINXの教えである「イメージして一発で決める」を自分なりに実践することができました。お客さまにも満足していただけたようで、その後転勤されるまで2、3年担当することになったのです。
もちろん、デビューまでに技術面での準備はしていました。当時は1年でカット、ブロー、カラーなどの基本を叩き込むというカリキュラムになっていたんです。例えば、ワインディング5種類、ブロー4種類のチェックに合格する必要があったのですが、ワインディングは1年目の10月、11月くらい、ブローも年内には終わらせていたんですよね。しかも、高橋マサトモさんが直接見てくれていたので、突然デビューしたときも「こいつは任せても大丈夫だな」という判断があったのだと思います。
学生時代、工具バサミで「チェッカーズカット」をつくっていた
僕が早くデビューできた理由はほかにもあります。美容師になる前から友達の髪を切っていたんです。小学5年生くらいのころから自分でスタイリングしていたし、毎月髪を切る理容室で、理容師さんが自分の髪を切る様子を観察していました。そうしたら、なんとなくカットの手順を覚えてしまったんです。
その当時はチェッカーズのような髪型(ふぞろいで長めの前髪でチェッカーズカットと呼ばれていた)にしたくても、なかなか切れる人がいませんでした。でも僕は、工具バサミとコームでそれっぽい髪型にカットできたんですよね。
そうしたら周りの友達も面白がって「俺も」「私も」とカットの依頼が舞い込んできて、専門学校時代のころには月に多いときで5人くらい切っていました。学生だからカットの理論はないけど、実戦で人頭を切り慣れていたんですよね。基礎がないのにいきなり応用から始めたような感じで、自分でカットして似合わせることが楽しかったんですよ。
だからMINXに入ったときも「こんなに切りやすい場所はない」と思いました。美容室なんだから当たり前ですけれど(笑)。入社して1カ月くらいのときに「ここで友達の髪の毛を切っていいですか?」と先輩に聞いて営業後に友達のカットをしていました。
>技術は本番で磨かれるから、技術チェックは合格ラインギリギリでいい