フェミニンブームの裏にロック! 自分の「好き」を細くとがらせて刺さねば淘汰される K-two塚本 繁さんのびよう道
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、有名店K-twoグループを代表するカリスマ美容師、塚本 繁(つかもと しげる)さんの「びよう道」です。ストリートカジュアル、コンサバ、小顔矯正カットなど、いくつものジャンルで支持される塚本さんのルーツに迫りました。10年、20年お客さまに愛される美容師を目指したい人必見のインタビューです。
アシスタント期間は3カ月…! 仕事は習うのではなく見て覚えた
美容専門学校時代、土日は美容室でアルバイトをしていました。アルバイト先のお店が厳しいところで、学生の僕はお客さまを担当することはできなかったんですよ。例えば、お流しはさせてもらっていましたが、シャンプーはさせてもらえなかったんです。他にできることは掃除と準備や片づけぐらい。
手が空く時間も結構ありました。そんなときは先輩たちの仕事ぶりを見て盗んだり、自分なりに効率の良い仕事の仕方を考えたりしていましたね。使用後の耳キャップを洗ったあと、営業中にボイラー室の熱を利用して乾かすと手間が省けるとか、何かと工夫するのが好きだったんです。
美容専門学校で基礎的な技術を学んで、下手だけれどなんとなくは切れるようになっていたから、就職後はどんどん入客させてもらいました。「お客さまに育ててもらおう」というおおらかな時代だったからできたことです。技術が不慣れなまま入客するなんて今では考えられないことですよね。
営業中に店長などに助けてもらいながら、技術を身につけていきました。意外と手先が器用なので、習ったことをすぐできたんですよね。ただし、お客さまに叱られることも多かったですよ。年配の方のぐりんぐりんの強めのパーマを巻くことができずに、「店長、すみません…」と助けを求めたことがありましたし、あまりにもブローに時間がかかるからお客さまを怒らせてしまったこともありました。
佐川急便と電気工事のアルバイトでお金をためて渡英
1年間くらいスタイリストをしたあと、僕は一度美容師を辞めています。ロンドン留学の旅費を貯めるためです。本当は美容師をしながらお金を貯めるつもりだったんですが、1年目のスタイリストじゃ無理じゃないですか。だから、まずは佐川急便の配送の積み込みを4カ月くらいやりました。他にも予算調整で公共工事が増える年末は、親のツテがあり、電気工事会社でアルバイトをさせてもらうことに。高速道路の電光表示板の設置工事などを行う会社でした。アルバイト代が月給60万円で、しかも現金で手渡し。仕事はかなりハードでしたよ。高速道路の植え込みとフェンスの間にある隙間にを何キロも穴を掘り進めて、そこに極太の電源ケーブルを埋めていました。寒いし危ないしなかなかに過酷でしたね。
そうして貯めたお金でロンドンに留学しました。ヴィダルサスーンで学んで、現地で美容師をしてはいましたが、それは生活費を稼ぐためで、ロンドンのロックやパンク、ストリートのカルチャーが好きで、純粋に住んでみたいと思っていたんですよ。
ロンドンの美容室で働くときは、「日本ではバリバリのスタイリストだった」とフカして入ったのですが、もう本当に初めてのことだらけでした。例えば、海外ではカラーリングといえば、ハイライトなんですよ。でも僕は一度もやったことがない。他の人がやっているのを見よう見まねでやったんですけれど、最初は失敗してしまいましたね。こんな感じで、チャレンジしてその都度学んでいくことの繰り返しだったような気がします。だから、誰かに教えてもらった記憶がほとんどないです。技術面での師匠はいません。「見よう見まね」を積み重ねた結果、大体のことはできるようになったというのが本当のところですね。
>ロンドン仕込みの「塚本フィルター」で、独自のコンサバスタイルを生み出した
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