びよう道 vol.31  Un ami森内 雅樹さん 成長しようと思ったら、いつまで経っても満足しない。僕が満足するのは、死ぬときかな。

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

第31回目は、芸能人やモデルなど美的感覚に優れた女性に支持されるサロン「Un ami」の代表 森内雅樹(もりうちまさき)さん。都内の有名美容師からも慕われる魅力的な人柄であり、1990年代後半から2000年初頭にかけての美容師ブームの仕掛け人の一人とも言える存在です。

 

森内さんの修行時代のお話や、美容業界を盛り上げるためにしてきたことをうかがいました。

 


 

真面目だけれど不器用で、ボブの試験は人の3倍かかった

 

 

僕が美容師になったのは1980年代後半です。「竹の子族」と呼ばれる個性的なファッションの人たちが原宿で踊っていたり、DCブランドの店員さんを「ハウスマヌカン」と呼んでもてはやしたりとか、そういう賑やかな時代でした。

 

当時は美容師よりも「ヘアメイク」に憧れる人が多かったんですよ。広島から上京した僕もそのうちの一人でした。有名ヘアメイクが所属するStudioVというサロンに入って、自分もいつか有名になりたいと思っていましたね。

 

1年目はとにかく先輩の言うことが全てみたいな世界でした。何を言われても「はい」と答えるしかない。でも僕は覚悟してこの業界に入っていたから、何があっても平気でした。学生時代、ずっと厳しい環境で野球をやっていた経験が生きていたのかもしれません。

 

 

アシスタント時代の仕事ぶりはかなり真面目だったと思いますよ。掃除や雑用のような仕事も自分がやるのが当たり前だと思っていましたし、同期の中で一番頑張っていたんじゃないかな。

 

ただかなり不器用だったので、技術チェックに合格するのにめちゃくちゃ時間がかかりました。ボブの試験は30人切ったら合格だったんですが、僕は108人切りましたから。周りが受かって焦る気持ちもありましたけど、108人切ったからこそ、それだけたくさんの髪質や骨格に触れることができたわけだから、長い目で見たら自分にとってプラスだったと思っています。

 

>StudioVのトップスタイリストになり、新しい目標を探しているときにスカウトされた

 

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