びよう道 vol.27 風と雲の美容室 JUNさん 〜30年間続けていてもまだ半人前。いくらやっても極められないから美容師の仕事はおもしろい〜
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれもいいですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
第27回目は、風と雲の美容室のオーナー、JUNさん。青山の有名店で約20年間経験を積んだのちに高円寺で独立。類稀なセンスの持ち主であり、それでいてお客さま想いであり、さらにその風貌からも唯一無二の存在感を放つ美容師です。今回はそんなJUNさんの修行時代のお話をうかがいました。「きっかけさえ掴めば、人は変わる」という強く前向きなメッセージをぜひJUNさんの言葉から感じてください!
高校にアイロンを持っていき、昼休みにクセ毛を伸ばしていた
そもそも僕が美容師になったのは、クセ毛がコンプレックスだったからです。美容室で働けば、でストパーをかけられると思い、母の友人が働く美容室で高校1年生からアルバイトさせてもらっていたんですよ。
きっかけは不埒だったかもしれませんが、次第に美容師の先輩やお客さまとのやりとりが楽しくなってきたんですよね。先輩たちから「スジがいいから美容師になればいいじゃん」とのせられて美容師の仕事に興味が湧いてきたんです。
僕は学校にアイロンを持っていって、昼休みに自分のクセ毛を伸ばしたりしていたんですよ。その様子を見て女の子たちから「私もやりたい」と言われ、やってあげると喜ばれたんですよね。そういう経験もあって「美容師っていい仕事かも」と。卒業後はアルバイト先の美容室に就職することにしました。
ただし、なんとなく美容師という職業を選んだだけで、将来それで食べていこうとは全く思っていなかったんです。自主的に練習することもあまりなかったし、仕事が終わったらさっさと遊びにいっていましたからね。パチンコに行ったり、カラオケに行ったり、もうどうしようもない感じでした。
そんな僕を変えたのは半年間のイギリス留学。「若いうちに海外を知っておくといい。絶対にその後の仕事に役立つ」と親に勧められ、サロンにも半年間、籍を置かせてもらったまま渡英しました。留学先で出会った仲間は、僕とは全く本気度が違う。「フラフラしていた自分が恥ずかしい」と心底思ったんですよね。薄っぺらい自分を卒業するために、帰国後は日本で一番ハイレベルなサロンで修行しようと決めました。
美容師の努力はセンスを凌駕する
前職のPHASEに入ったのは、雑誌や業界誌で一番好きなスタイルをつくるサロンだったからです。今なら問題になってしまいますが、「お前は一番下手だから誰よりも早くサロンにきて、誰よりも遅く帰りなさい」いう先輩の言葉は、僕の胸を撃ちました。僕は素直にその通りだなと思ったので、サロンの鍵を持って朝6時から深夜1時くらいまでサロンにいました。そんな生活が1年間続きましたね。
僕は朝6時に鍵を持ってサロンに行っていたわけですが、誰かが僕より先に出勤しているととすごく悔しかったですね。その当時の美容室の熱気は本当に凄まじいものがあって、例えば朝10時に出社したら、すでにみんなが練習に熱中しているので恥ずかしくて入れない雰囲気すらあったんですよ。
体力があったからできた無茶な生活だと思います。だから、自分と同じことを後輩に勧めたいとは思わないけれど、その当時の経験が今の自分をつくっているのは事実です。
美容師ってアスリートに似ていると思うんですよね。トレーニングを積み重ねている人がやっぱり強いし、コンディションを整えて勝負に挑むというのも同じ。美容師も戦える体をつくらないといい仕事ができませんよね。そしてその戦える体をつくることは、一朝一夕ではできません。
美容師として結果を出せるか、出せないかは努力の差。美容師はセンスって思っている人もいるかもしれませんが、努力はセンスを凌駕すると僕は信じています。
今は自分がスタッフを育てる立場になりました。どれだけ練習するのかはスタッフが自分で決めることだと思います。僕はよく人生ゲームに例えるんですが、出世コースにいきたいのか、のんびりサラリーマンコースにいきたいのか、人それぞれで答えはありません。大事なのは本人がそれで幸せかどうかなんです。