【島原GO】「サロンの虎」名物MCを直撃!大阪で3店舗を展開。BELOオーナーがたどり着いた自分軸マネジメントの経営論

 

帰阪して2年半で出店、勝負に出る

 

――2011年に、大阪に戻られていますね。

 

ちょうど震災があった年なんですが、実家の父が体を壊してしまったんですよ。前職では十分な給料をもらっていましたし、ちょうど二人目の子供が生まれたばかりだったので、どうしようかと悩みましたね。ただ、高校生の頃に「将来の自分へ」という手紙で「美容師になり、30歳で独立」と書いていたこともあり、30歳を節目として考えていたんです。ちょうど目前の29歳だったので、最終的には大阪に戻ることにしました。でもゼロからのスタートで貯金もなかったので、半年ほどめちゃくちゃ貧乏でしたよ(笑)。





フリーランスでサロンに所属し、初月売上は15万でした。それこそバイトをしようと思っていたんですが、フリー客をリピートしながら少しずつ売り上げを伸ばし、半年後には120万まで上げることができました。そこから150万を2年間続けて、雇っていたアシスタントを連れて『BELO』を出店したんです。





――ゼロから2年半で出店とは、快進撃でしたね。当時のBELOはどのようなお店だったんですか?

 

理想の物件がなかなか見つからなくて、親戚が保有していた物件でスタートしました。アシスタントと2人で月250万を売り上げて、そこからさらに2人が加わって2年半で店舗売上が700万になりました。その後、理想としていた一棟貸しの物件が見つかったので、そこに移転したんです。そしてスタッフを4人採用して、8人で営業を始めました。最初の店舗もそのまま借り続けて、育てたスタッフをそこに送る形で2店舗を経営しました。1カ月の固定費が700万に上がり、スタッフが15人になったタイミングで、3店舗目の『BELO MAN』(ベロマン)を立ち上げました。メンズサロンです。3フロアの店舗なんですけどあえて内装に5000万かけて、20代前半の3人のスタッフに任せて勝負に出ました。そこは月1000万売上のお店に成長しましたね。






>紆余曲折あり、BELO第二章のスタート



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