朝日光輝(air/TIMELESS)が語る、美容師人生ビフォアアフター【前編】
東京での怒濤の日々
-東京で美容師として働くようになって、生活はどのように変化しましたか?
東京にくるまでは田舎の小規模なサロンを経験していたので、大人数のアシスタントやスタイリストとチームワークを重視してやっていくサロンワークは東京で就職して知ったんですね。
air時代、撮影は月に20本以上やっていたし、そのなかでもできるだけお客さまを迎えるために、サロンワークを最低15日していました。それに撮影や仕事が終わっても、airではスタッフの教育やミーティングをずっとやっていたので、寝ているとき以外は仕事をしていましたね。
-仕事に没頭するなかで、悩んだことはありましたか? また、それをどのように解決していましたか?
つまずくことなんて、しょっちゅうです(笑)。でもトップってあまり弱音を吐けないじゃないですか。少なくとも自分より上の立場の人間にしか言っちゃいけないと僕は思っているので、airのときは、何か自分のなかで課題があったら、一人で考え込まず、すぐに社長の岩田や副社長の高田に相談していました。
そういう意味では、上に先輩も居てくれたし、悩んでも素直に話せるパートナーがいたので、気は楽でしたね。3人のなかでいっぱいケンカもしましたし、悩みも愚痴も言ったかと思うんですが、その関係があってよかったと思います。
僕は3人のなかでは三男坊というか、一番わがままというか、トップのなかではいいポジションなんですよね(笑)。