「目立つことが大好きだった」ALBUM NOBUさんのこれまで
美容業界で活躍するあの美容師は、どんな人生を辿ってきたのか? どんな選択を経て今があるのか? リクエストQJ創刊以来、300回以上続くロングインタビュー「THE GENERATION」「THE GENERATION next」では、毎号、時の人にじっくりとお話を伺ってきました。
ここでは、「インスタグラムで集客し、発言力を増す美容師」という潮流を作った張本人、ALBUM プロデューサーのNOBUさんをご紹介した第321回(リクエストQJ 2017年12月号掲載)をご紹介します。
常識を打ち破る美容業界の異端児
どんなことも手を抜かず、全力で取り組む。
果たせるなら、既存のルールにこだわらず
それを実現するための方法は
オリジナルでもいいはずだ。そう確信しながら
自らの歩む道を切り開いてきた。
そんなNOBUの美容師人生を振り返る。
常に自分が輪の中心で活躍したい。
目立つことが大好きだった。
ファッションもスポーツも
徹底して突き詰める
うわっ、すげぇ。
やばい、カッコイイ!
大阪の繁華街、ミナミを行き交う若者の視線が高校生のNOBUの全身にビシビシ突き刺さる。
それが何よりも快感だった。
心が満たされ、自信がみなぎる。だから、ますますオシャレに熱が入った。
頭には7色のスプレーをかけ、体にフィットしたTシャツに母親の巻きスカートを合わせ、足元はゲタ。しかも、スポーツで鍛えた体はマッチョ。超個性派ファッションと体育会系というミスマッチな組み合わせも、注目される理由の1つだった。
地元がミナミに近く、アメリカ村は遊び場。ファッション雑誌のストリートスナップは常連で、地元では有名だった。その一方で、高校はスポーツが強い学校に入学し、全国大会にも出場する強者。スポーツ界でもNOBUは知られた存在だった。
「部活が厳しく抑圧されていたからか、オシャレに対する意欲がハンパなかった。その頃は、自分で工夫して、何か変えることでオシャレになれるような気がしていたんです。だから、休日のファッションは、どんどん過激になりました」とNOBUは振り返る。
とにかく「目立つこと」が何よりも大好きで、バンドはボーカル、野球はピッチャー、サッカーはフォワード。陰で支えることよりも、常に自分が輪の中心で活躍したい——素直で分かりやすい性格だった。
「柔道も団体戦に出場するときは、最初に出場する選手『先鋒』でよく出場していました。一番強いのは最後に出てくる大将なんですけどね。だけど、最初に出た先鋒が勝ち続けると『なんや、あの先鋒』って会場の人たちが注目してくれるんです」
柔道を始めたのは小学校3年生のとき。元気という言葉では収まりきらない、ヤンチャすぎる子どもだった。有り余るほどの体力をどうにか発散させようと、両親はNOBUを近所の道場に通わせた。負けず嫌いな性格も奏功し、めきめきと上達。だが、大学に進学するつもりはなく、高校卒業を機に柔道はやめると決めていた。
ちょうどその頃、美容業界では美容師ブームが巻き起こっていた。美容師がフィーチャーされ、さまざまなメディアに露出。美容師という職業がスタイリッシュなものとして世間に認知されるようになった。
そんな時代の変化をNOBUもいち早く察知し、素直に憧れた。そして、高校卒業後は大阪のル・トーア東亜美容専門学校に入学した。
「ル・トーアの学校のユニフォームがグレーのつなぎで、めちゃくちゃオシャレだった。それを着たままアメリカ村に行くだけで『ル・トーアの人や、カッコイイ!』って言われたりするのです」
目立ちたい
強い意欲が原動力
学校内でもNOBUは、ひときわ注目を集めていた。
まず、先生が教えてくれた技術の手順より、自分ならではのやり方にこだわった。例えばワインディングも「早くキレイに巻く」という目的を果たせるなら、自己流でもいいと思っていた。その考え方は、今も変わらない。
「ワインディングの練習をしていたら、自分は下から巻いてくほうが早く綺麗に巻けることに気づいた。先生は上から巻いていて、教えたとおりにやりなさいって怒っていましたけどね。だけど、早巻きのコンテストでは、みんなが15分くらいかかるところ、僕は5分ちょっと。断トツで優勝でした。先生に文句を言われないために、誰よりも必死に練習はしていました」
NOBUは、学校に併設するサロンでは他の人より圧倒的に指名が多かった。
「実際のお客さまを担当するモニター授業は、自分でつくったオリジナルの名刺を持って参加していました。自分が担当するお客さまはもちろん、隣の席でクラスメイトが担当しているお客さまにも『今度は僕を指名してください!』って名刺を渡すんです。そうすると次は本当に指名してくれて、気づいたら指名率歴代1位。自分勝手なので、クラスメイトは白い目で見ていましたけどね。ぜんぜん気にしてなかった。指名の多い生徒は黒いTシャツを支給されるんです。それを着ていると目立つ。それが原動力でした」
こんなエピソードもある。パリ研修旅行が副賞の学校主催のスピーチコンテンストで最多受賞を獲得。にも関わらず副賞は別の人の手に。前代未聞な出来事だったという。
「7個あった賞のうち6個、僕が受賞したのです。昨年までの流れから考えると、パリに行けるのは自分。しかし、実際には1つしか受賞していない生徒が選ばれました。そして校長先生からは『あなたをパリに行かせたら、何をしでかすか分からない』と言われてしまった(笑)。思い当たるふしはあったので引き下がりました」
美容学校を卒業後、NOBUは上京。都内有名店に採用された。結果的に半年足らずで辞めることになるが、入社面接で特異な自己アピールをしていた。
なんと「大根の千切り」をしたというのだ。もちろん、包丁やまな板を自前で持ち込み、社長や幹部の前で千切りをした。
狙いは「短期間で精度の高い仕事ができるようになる」ことのアピールだった。多くの人は、美容にまつわる何かでアピールしようと考えるだろう。だが、NOBUはあえて「大根の千切り」という美容師では善し悪しの判断がつけにくいものを選んだ。その方が比較するものがなく「凄さ」を直感的に伝えられると考えたからだ。
もし、美容師らしいこと、例えばワインディングの早さをアピールしても、「所詮、学生のレベル」「自分たちのほうが、もっと早く巻ける」などと言われてしまう可能性は高い。要するに、たいした自己アピールにならないということだ。
そんなNOBUの原動力は、高校生の頃から変わらない。「目立ちたい」という欲望だ。どういうことをしたら、人は注目してくれるのか。そのために、何をどうすればいいのか。瞬時に考え、実行する。
そして目的を達成するためなら、たとえ周囲の人に眉をひそめられても気にしない。そんな我が道を突き進む圧倒的なエネルギーが、NOBUを売り上げ、指名客数ともにナンバー1スタイリストへと押し上げていく。
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