DaB八木岡聡 創造者、降臨。【GENERATION】雑誌リクエストQJ1999年2月号より
雑誌「リクエストQJ」創刊以来の看板企画「GENERATION(ジェネレーション)」。
昭和〜平成〜令和と激動の美容業界において、その一時代を築いてきた美容師さんを深堀りしたロングインタビューです。
300回以上続いた連載の中から、時を経た今もなお、美容師さんにぜひ読んでいただきたいストーリーをピックアップしていきます。
今回は1999年2月号から、DaBの代表・八木岡聡さんのインタビューをご紹介。四半世紀を経ても変わらない八木岡さんの創造に対する普遍の思考、ぜひ読んでみてください。
創造者の宿命。
それは闘わなくてはならないことにある。
なぜなら創造には必ず、破壊が伴うからだ。
創造者は人々と、時代と、旧習と、
そして自分と闘わなくてはならない。
闘いつづけなくてはならない。
毅然たる精神を維持し、
独創を追求し、
共創者を発掘し、
自らの存在を世界に問いかける日々……。
1995年、ひとりの創造者が帰国した。
八木岡 聡。
彼の作品は、右頁のような写真にはとどまらない。
『DaB』というサロンであり、
『DaB』に集まる人々であり、
彼自身でもある。
『DaB』代表
八木岡 聡
Satoshi Yagioka
Photograph by Nigel Scott(p2,6) Hiroshi Miyazaki(p3) illustration/ERIC PELKA
text by Takashi Oka
闘争。–Struggle-
八木岡聡の半生は、闘争の歴史であった。
それは職業として美容師を選んだ瞬間から始まる。
「モノをつくることを仕事にしたかった。モノをつくれるのであればなんでもよかった。モノをつくって、自分自身を表現できる仕事。モノをつくるプロとしてお金が稼げて、生きていける仕事」
高校時代、彼は3つの職業を想定した。
洋服のデザイナー、ケーキ屋さん、そして美容師である。
「他人がつくったものを売る仕事はイヤだった。そんな単純な動機ですよ、この仕事を選んだのは」
ならば3つの職業の中から、美容師を選んだのはなぜか。
「最もクリエイティビィティが低いと思ったから。ぼくの場合は職業の種類じゃなくて、漠然とクリエイティブな内容ということでまず受け止めていて、当時の美容師はその3つの中ではけっこう低い感じがしたんですよ。クリエイティビィティが低い。だからこそ可能性があるんじゃないか、と」
賭け、である。
今から23年前。高校生だった八木岡聡は、現実ではなく、可能性に賭けた。
クリエイティビィティから最も遠いイメージを持った美容界の、未来の可能性に賭けた。
その瞬間から、彼の闘いはスタートしたのである。
「最初はもちろん闘うなんて意識はないんです。だけどぼくはモノをつくりたいわけだから。現状を否定して、逆にもっと創るんだということでやってきましたから」
当然、闘いが始まる。
時代との、そして美容業界との闘いである。
「無茶苦茶ありますよ……」
と、言った後で彼は言葉を区切った。
視線が一瞬、遠くへ彷徨う。
「お客さんに対してもありましたよ」
動き始めた彼の口から語られる言葉は、私の期待からは見事に外れていた。
「今でこそいろんなヘアにしても、たとえば雑誌に載ってる範囲のものだとだいたいみんな受け入れてくれるわけですよ。だけど人の観念になる素というものは知識じゃないですか。当時は一般の人にその知識自身がないから、それを説得してつくっていくわけです。新しいものをぶつけていくというのは、逆にいえば珍しいものになるわけだから抵抗もある。そういうことはすごいありましたよ。当時でも、かなりとんがってる人じゃないとわかってもらえなかったし、とんがってる人でも見たことないからわからない、とか。あと、周りが見ていいというかどうか。その人自身はかなりオシャレな人で、オシャレであることが重要なポジションにいたり、意識する人だったりすることもある。だけど、そういう人でさえ見たことがないわけですから。そういう相手の背景も全部わかった上で、挑戦していかなければならないわけですから」
私は“業界との闘い”の話を期待していた。
しかし、彼は語らなかった。
彼が強調したのは、むしろもうひとつの闘い。
“お客さんとの闘い”であった。
「お客さんを説得していくわけです。ヘアの難しさよりも、むしろ説得する方が難しい場合もある。理解してもらうとか、私の方針をその人自身が受け入れてくれること。ま、言葉を換えれば好きになってもらう。そういう作業というのはヘアをつくる以上にあるわけです。もちろん今は違いますよ。今のコたちはもっと知識を持ってるし、自分がそのスタイルを知っていて、自分にフィットすればもうオッケーという。それはものすごいわかりやすいし、やりやすい。だから周りがキレイになってる。そう思ってる。自分の好みになったというか。だけど当時は、たとえばサーファーカット全盛のころだったりするわけじゃないですか。みんな同じような頭ばっかりだった」
ならば、である。
八木岡聡は当時、どのようなヘアスタイルを好み、お客さんを説得していたのか。
「うーん、どうだろう。当時はもしかしたらパリっぽく、なんて思い込みだったのかも知れないね。架空のイメージというか、一回ちょっと見たくらいでパリっぽく、なんて勝手に自分が思ってたりとか、パリに行ったらたまたまステキな子を見たりして、そのイメージとか。あと、映画のこのシーンとか。そういうところで自分がイメージしていくということだと思うんですよね」
女優、である。
パリジェンヌである。
でもその感覚をそのままサロンに、日本のサロンワークに移入することが、果たして可能なのだろうか……。
「違うっていうの? 何が。顔が?」
私の素朴な疑問に、彼はキッとした眼を向けて反論を開始した。
「それはもちろん顔は違うけど、その人自身のテイストが好きだと思えば似合わなくてもやる場合もあるわけですよ、ぼくは。似合わなくてもいいわけ。そのことにおいてはね。もちろんロングじゃなきゃだめだとか、そんなことはないのと同じで、たとえば丸顔にはこういうヘアが合わないとか、よくいうでしょ。ぼくはそんなことはないと思ってるから。まずその人自身がどういう好みを持っているか、とか。そういうことだから。ロングじゃなきゃダメってことはないのと同じで、丸顔の人はこんなことやっちゃダメ、なんてことはないんですよ。丸顔でも、ジーン・セバーグみたいにしたいと思えば、別にショートも似合うと思う。ただ、少し痩せないと、あのテイストは出ないということはありますよ。でもそのスピリットがそこにあれば、フィットしていくという考え方を持ってるから」
熱くなった彼の口から、新しいキーワードが飛び出した。
スピリット。
インタビューはようやく、動き始めた。