カットの匠【永島稔久】サロン経営・オンラインサロン主宰・プレイヤーを身ひとつで!一人ひとりの理解度に合わせたプロ指導が人気

 

 

東京・赤坂でプライベートサロンcerne(セルン)を経営する永島稔久(ながしまとしひさ)さんは、卓越したカット技術で教育業も手がけるカットの匠。永島さんの師事を乞う美容師さんは多く、海外でも講師活動を展開しています。

そんな永島さんのキャリアのスタートは、最高峰のカット技術を誇る老舗有名サロン。美容師になりたての頃は誰よりも練習でつまずき、習得までの道のりは大変な困難が伴ったそうです。それでもカットに向かい続けた原動力は何だったのでしょうか。コロナ明けに独立し、教育活動を始めることにした経緯についてもインタビューしました。

 


 

カリスマブーム全盛期の有名店。誰よりも練習した日々

 

実家が地元・福岡で美容室を経営していて、子供の頃から両親が働く姿を間近で見ていました。お客さまは近隣の方ばかり。自然体でフレンドリーな関係性を育んでいる様子を見て、自分もこんな温かい環境で働きたいなと思い、美容師を志しました。僕が専門学校に入った頃はまだSNSもないですし、美容雑誌を見て都内のサロンを知るという感じで。スタイルを見ていて一番衝撃を受けたのが、都内の某有名店でした。実際にサービスに触れてみたくなり、さっそく予約して福岡から東京へ行きました。働いているスタッフを間近で見ると「ここで働きたい」という気持ちがそのときに固まったのを覚えています。今から19年前で、ちょうど時代はカリスマブーム。採用倍率も高くて難しい時期でしたけど、ありがたいことに採用していただけることになりました。


 

当初は、何年か修行したら地元に戻って両親のお店で働くつもりだったんですが、働いていくうちに価値観が変わっていきました。「東京でやっていきたい」と両親に話したら、「お前の人生だから好きにしていいよ」と言ってくれて。結局その会社には13年お世話になり、教育活動なども経験させていただけるまでキャリアを重ねました。僕はかなり不器用な方だったので、アシスタントの頃は相当つまずきましたし、それを乗り越えるために人の何倍も練習しました。頑張って続けていくと、できないことができるようになり、それが達成感になって喜びに変わっていくんですよね。だから、とにかく突き詰めるようにしていました。続けてこられたのは、シンプルに技術が好きだったんだと思います。

 

シャンプーは、最初の頃から褒めてもらっていましたし、指名もいただいていました。お客さまのメンタリティはその日によって違うので、今日はどんな気分なんだろう?と観察しながら接客するようにしていましたね。シャンプーするときは、お客さまの呼吸に合わせて。そんな風に細部にこだわるとお客さまの反応が良かったですし、お客さまが喜ぶとスタイリストも喜んでくれるじゃないですか。そこから仕事をいただけるようにもなりました。


 

当時はデビューまで4〜5年かかるのが当たり前で、僕は5年でスタイリストに。デビューしてからがスタートなので、先輩の仕事を見たり、講習に参加させてもらったりして少しずつ腕を磨き、お客さまもだんだんと増えていった感じです。原宿・表参道エリアで10年、新宿で3年勤務して、その間に独立を考えたタイミングは何回かありましたし、このままずっとここで働き続けようかなと思った時期もありました。新店舗に異動したり、新しい場所でいろいろなチャンスを経験させていただいたりしながら、結果的にそれがすべて自分の糧になって。前職場に今でもとても感謝しています。






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