お前はそれでも美容師か?カラーの匠の心に火をつけた言葉 Vardy中澤卓也のコトダマ
第一線で活躍する美容師の人生を変えた「恩師の言葉」を紹介する「美容師のコトダマ」。
今回は、カラーの膨大な知識とユーモアを武器に表参道で頭角を表すVardy(ヴァーディ)の中澤卓也さんのコトダマ。その技術とセンスで美容業界誌でも注目を集めています。また、ハイトーンカラーの投稿で10万人以上のフォロワーを持ち、サロンの共同経営者でもある吉永大介さんと共に開講しているカラー特化型のオンラインサロン「ANOTHER」は、全国の美容師280名が受講しています。
今回は、そんな中澤さんが胸に秘めている言葉を教えていただきました。一つのことで突き抜けたい美容師さんを勇気づけるインタビューです。
女手一つで育ててくれた母「あんたが悪いことをすると家庭環境のせいにされる」
僕の母は2回離婚しています。実の父親の記憶がなくて、二人の目の父親もお酒を飲んで暴れるような人でした。僕は学校でマジメに勉強したいと思っていたんですが、父に「ヤンキーになれ」と言われたんですよね。めっちゃ太いボンタンと、刺しゅう入りの学ランを無理やり着せようとしてきたんです。
嫌々ボンタンは履いていたけれど、さすがに刺しゅう入りの学ランは着ていかなかったですね。見た目はちょっとヤンキーっぽかったかもしれないですが、根はマジメなんです。今まで一度もタバコも吸ったことないですから。
とはいえ、高校生の多感な時期、夜中まで遊んだりして、自由に生きていたんですよね。そんな様子を心配したのか、母が「あんたが悪いことをすると、家庭環境のせいにされる」と言ったんです。
仕事を掛け持ちして僕を育ててくれた母に感謝しているし、大切に思っています。だから、母に「こんな立派な人に育った」と思われるような生き方をしたい。
「美容師になって成功して、苦労して僕を育ててくれた母の髪を切って恩返ししたい」そんな気持ちがずっと自分の中にありました。
スタイリストになるまでは母親の髪を切らないと決めていて、実際にスタイリストになったときに切りました。そんな想いがあったので、うわーって感動するかと思っていましたが、なんか意外とお互い落ち着いていましたね(笑)。
「お前、何言ってんの?美容師なのに」反骨心に着火
美容学校卒業後に入ったサロンでのことです。今と違って昔はきちんとしたレッスンもなくて、あるとき突然「今度デビューさせるから」と言われ、とりあえず入客して切るみたいな感じだったと思います。十数年ぐらい前はどこのサロンもそんな感じだったんじゃないかな。
僕もそんな感じのデビューの仕方でした。ただ、ブリーチカラーが好きだったので毎日モデルさんを入れて練習していたんですよ。
あるときオーナーから「お前はどんな技術で売っていくの?」と聞かれたんです。僕は「カラーで売ってきます」と答えました。そしたら「お前、何言ってんの?美容師なのに」って言われたんですよ。
当時は「美容師はカットができてこそ」という価値観が当たり前で、カラーはおまけみたいな感じに思われていました。だからオーナーの言っていることもわかるんだけれど、本気でカラーを追求していたから、腹立たしかった。自分がカラーでやっていく覚悟が決まった瞬間ですね。
それと同時に、マニュアルもないし、レッスンもまともに見てもらえない環境で育ってきたので、きちんと教えられるようにしたいと思いました。縮毛矯正やデビュー前のチェックも、どこかで飲んで酔っぱらって帰ってきた先輩などに見てもらっていましたから。まともに指導を受けた記憶がありません。
だから僕は、カラーについての理論を構築して、オンラインサロンでも伝えられるようにしたんです。オーナーや先輩に教えてもらえない人の役に少しでも立てたらと思っています。