〜どんな小さな仕事にも魂を込める。絶対に見てくれている人がいるから。カリスマ美容師でママ美容師サトーマリの今〜 siikaNIKAIのサトーマリさんのびよう道

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

前職時代からJHAのノミネート、業界誌・ヘアカタログ・一般誌からのラブコールもひっきりなしに届いたクリエイティブ美容師、siikaNIKAIのサトーマリさん。ほど良い違和感と新しさ、かわいさ、カッコよさを感じさせるスタイルを発信し続けてきました。そんなサトーマリさんの遍歴と、美容師としての生き方について伺います。

 


 

「美容師」は、夢や憧れで目指した仕事ではなかった

 

 

私は美容師に憧れたから美容師になったわけじゃありません。大学に通っても稼げるようになるとは限らないし、それよりは手堅く「手に職」をつけたいという感じだったんですよね。夢や憧れから目指した道じゃなかったんです。

 

でも当時はSNSもないし情報も限られていて、注目されているサロンは東京にしかなかった。しかも、人気サロンに入社希望者が殺到して入社倍率がすごく高かったんですよね。そんな状況だったので、私は原宿にあった前職のサロンに応募して、一度落ちているんですよ。今でも最終面接で落ちたときのことを覚えています。

 

それでも、諦められずに数ヵ月後、「もう一回受けさせてください」とお願いしたんです。驚くことに、ちょうどその時内定していた人の辞退があったということで、もう一度面接させてもらうことに。そういう巡り合わせもあって、原宿で美容師生活をスタートすることができました。

 

 

前職のサロンは、原宿のカルチャーを象徴するようなお店だったので、とても注目されていたし、サロンワークももちろん忙しかったです。しかも、昔はとにかく練習量で評価される時代だったんですよ。オーナーが仕事終わりに飲みに行き、夜中の1時くらいにサロンに戻って来るんですが、そのときまで練習していると「偉いな」と褒められるんです。当然、終電はないので、自転車で通えるところに住んでいました。今じゃ考えられないですよね。

 

正直、辛かったこともたくさんあるし、人間関係でも悩んだことがあって、一度やめているんですよね。別のところで働いていたけれど、さまざまなタイミングがあってまた復帰したという経緯があります。そこで辞めたままだったら今の私はいないでしょうね。

 

>毎晩ウィッグでショート・ミディアム・ロングを切っていた

 

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