“外国人風ヘア”の先駆者『suburbia』代表・石川ヒデノリ初登場。東京・青山で4席からスタート、ビル1棟のサロンへと成長させた17年の道のり

 

都内有名店で厳しい修行を乗り越え、店長、ディレクターなどの要職を経て32歳で独立した石川ヒデノリさん。2006年、青山で4席のスモールサロンをオープンし、いち早く”外国人風ヘア”を打ち出して集客に成功。紆余曲折ありながらも、現在はビル1棟のサロンでリピート率100%という驚きの結果を出しています。”乾かしただけで決まる”スタイルを追求して熱烈なファンを獲得してきた石川さんは、これまでどのように顧客と向き合ってきたのでしょうか。有名店時代から現在に至るまでの道のり、そして49歳でTikTokを始めた理由やサロン教育などについて幅広くインタビューしました。前編、後編でお届けします!

 


 

都内屈指の有名店に入社したものの、「スター性」の壁が…

 

僕は地元・栃木県の美容学校を卒業して上京し、トップサロンに運良く入社してキャリアをスタートさせました。美容師なら誰もが知るサロンだったんですが、僕は知らずに入ったんです。それくらい田舎者で業界のこともわかっていなくて、都内で美容師をしていた叔父からサロン名だけを聞き出して応募しました。合格率8倍という難関でしたが、面接で「一流のサロンは精神を鍛えられると思うので、歯を食いしばって何がなんでもついてきます」みたいなことを言ったのを覚えています。

 

 

入社してから12年間、青山・原宿・代官山エリアを異動しながら新店舗の立ち上げや店長、ディレクター職を経験しました。ありがたいことに異動してもお客さまはついてきてくれて、売上もそこそこ高い方でした。僕はハードリピート率が高かったんです。ハードリピートというのは、一度気にいってもらえたらずっとリピートしてくれることなんですけど、それに関しては上層部からも褒められていました。長く通い続けてくださるお客さまに恵まれたなと思います。

 

ただ社風として”スター性”が重視され、キラキラとしたスタッフが突き抜けていくところだったので、自分はここでどんな風に勝負していけばいいのかと、そこは結構悩みましたね。僕はいわゆる”華”があるタイプではなかったですし、入社1年目は「ダサいから着替えてこい!」と言われるレベルのファッションセンス(笑)。デビューしてからも売上をいくら上げても、撮影となると艶がないんですよ。つまり日常的に着回せるタイプのヘアスタイルしか作れなかったんです。

 

 

ブロー習慣がないお客さまにブロー仕上げは必要?が原点

 

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