「カラーの研究家」KUMAが明かす衝撃の真実。パニック障害を乗り越え、オンラインサロンで新境地を開拓!
今回登場するのは、東京郊外の町田でフリーランス美容師として活躍する「カラーの研究家」ことKUMAさん。カラー技術や薬剤を熟知し、Instagramで高明度なヘアカラーや詳細なカラーレシピを発信して全国の美容師から注目を集めています。運営するオンラインサロン『KUMAラボ』では、各メーカーから膨大な量のカラー剤を惜しげもなく取り寄せて実際に検証し、その結果をひと目でチェックできるようにLINE上にデータ化。ヘアカラー講師としてセミナーやレッスンも行っています。やる気ゼロの学生時代から、執念とも言える探求によって現在の成功を掴み取るまでの10年間を紐解きます!
やる気がない学生時代。アシスタント1年目の冬が転機に
僕が通っていた専門学校は、コンテストなども盛んで有名スタイリストを多数輩出するところでした。ですが、当時の僕はやる気ゼロ。コンテストにも出なかったですし、目標も、突き詰めたい技術もなくて、カラーにも全く興味がなかったんです。就職先を探すときも、単に”古着が好き”という理由で下北沢や高円寺、吉祥寺のサロンを探していたくらいです。そんな感じでしたから、どこのサロンからも合格をいただけませんでした(笑)。
結局、学校が紹介してくれた東京郊外の老舗サロンに入社しました。客層は平均年齢が60代で、メニューはほとんどが白髪染め。アシスタントは僕一人だけで、営業後の掃除も一人で行う環境でした。転機になったのは、1年目の冬です。友達に紹介してもらったサロンを訪れ、初めて自分の髪をブリーチしてもらったんですけど、その施術を見たときに自分の中で「これは面白いぞ」と。そこからブリーチの研究を始めました。
その当時の僕が働いていたサロンは、スタッフの年齢層が高く、アシスタントは僕一人という環境でした。練習のためにカラーモデルを呼ぶシステムすら存在しなかったので、自分からサロンに頼みこんで、カラーモデルの施術を認めてもらったんです。でも、白髪染めを主力メニューとするサロンでは、先輩たちからの反応は鈍かったんですよね。それで環境を変えようと思い、2年目の10月に退社しました。
退社翌日からは、町田市で注目されていた、ブリーチカラーで人気のサロンで働き始めました。ブリーチをやるなら原宿や渋谷というイメージですけど、僕はメンタルがあまり強くないので、マイペースで働けるかなという淡い期待を抱いて郊外のサロンに就職したんです。ただ、町田のそのお店も甘くはなかったです。前職ではカットのカリキュラムまで到達していましたが、転職を機にシャンプーからのスタートでした。同い年のスタッフはブリーチを塗らせてもらっていても、僕は一切塗らせてもらえないので最初はキツかったです。白髪染めの経験しかなかったから、当然ではあるんですけど、「ヘルプに入ります」と言っても違う子を呼んでくるように言われましたし、たとえ入れてもミスばかり。心が折れました。
ブリーチの経験を積む、という意味では理想的な職場でした。学生のお客さまが多く、お客さまの8割がブリーチをオーダーします。前職とは世界が180度変わりました。カリキュラムに合格して入客できるようになってからは、お店の中で誰も強みにしていなかった”ホワイトカラー”に目をつけてInstagramで発信しました。
あの頃は、まだフォロワーが5000人程度だったかなと思います。都心で活躍しているブリーチに強い美容師さんの施術を受けに行ったり、セミナーや本から技術を学びました。売上を伸ばすために、インスタ広告に月4〜5万投資していたんですよ。使ってみたい商材は自腹で取り寄せましたし、周りからも心配されるほど自己投資にお金を使っていました。