美容歴46年imaii 有村雅弘さんのびよう道〜技術を体系化すると、自由な発想は生まれない。失敗を恐れず、自分の限界を決めずに進めば何歳でも成長できる。〜
今回は、表参道にあるカラーリスト発祥のサロンimaii(イマイ)で代表取締役を務める有村雅弘(ありむら まさひろ)さん。1979年にimaiiに入社し、今年で43年。美容師歴46年目を迎える有村さんは、今もなおサロンに立ち、コロナ禍においても月300人のお客さまを施術しています。今回はそんな有村さんが今に至るまでどんな「美容の道」を歩んできたのか教えていただきました。
修行時代は、練習も技術の追求も楽しくて仕方がなかった
僕はimaiiに入社する前、違うサロンで3年ほど働いていました。imaiiに移ったのは、1979年2月です。そこから5カ月でデビューしました。あの頃は今のような教育カリキュラムもなく、練習は誰かに管理されるものではありませんでした。練習内容は自分で決めて、やってみて分からないことがあったら先輩に聞くという時代でしたね。
練習会は営業後に1時間くらい。みんな好きなように練習していたので、血が滲むような練習はしたことがないです。ただし当時は週休1日が常識で、週休2日制になったのは入社して5〜6年経った頃でした。
下積み時代を振り返ってみると、「これが修行なんだ」と意識したことは一度もありませんでした。カットを練習して今までできなかったことができるようになり、それがまた次のステップに繋がる。このサイクルを繰り返していく追求の日々は楽しかったですし、お客さまに入れることも嬉しくて仕方がないという感じでした。
先輩の技術をとにかく真似てウィッグでやってみて、それをお客さまで実践しました。手を動かさない限り、僕らの仕事は上手くなりませんからね。80年代後半から90年代にかけてサロンワーカーが誌面に登場するようになってからは、「雑誌の表紙をやりたい」「連載をやりたい」など明確な目標がありましたし、やればやるほど上に上がれるという上昇志向が、美容師全体に浸透していたように思います。
世界中のセンスの良い物やトレンドに触れて感覚を磨いた
imaiiオーナーの今井英夫の技術を見て、ひたすら真似しました。なかなか同じようにできないですし、できるわけもないのですが、そこに自分のテイストをどのように加えるかというところが一番難しかったですね。「これをしたら怒られるんじゃないか」とか、「何か言われるんじゃないか」とか。そんな壁は感じていたかもしれないです。
練習というのはある意味”作業”なので、本当に大切なのはどれだけ自分のセンスを磨けるかという部分なんですよね。普段からできるだけ洋書や写真集、ファッションなどを見たり、音楽を聞くなどして、インスピレーションを養うことを大事にしていました。世界中のセンスのいいものを見ないとインプットできないですし、感覚も掴めません。80年代はVOGUEの表紙集を買って毎日見ながら、「このヘアはどうやって作るんだろう」「この写真はどうやって撮っているんだろう」とか、そんなことばかり考えていました。
当時はまだ日本の美容が遅れていたので海外への憧れが強く、現地のカットスクールに学びに行く美容師もいましたし、僕もパリのサロン『ジャックデサンジュ』という美容室のブルーノ・ピッティー二のカットや、ジャン-ルイ・ダヴィッドのスタイルが好きで参考にしていました。
たくさんの作品に触れると、将来ステージや撮影をするときに「あのイメージを作れるかも」とポッと頭に浮かぶんです。それが作品に繋がっていくので、売れている人や流行っている人の真似から入ることは大切なんですよね。それを取り入れて、自分のオリジナルにしていくんです。
あとは日々のサロンワークで、できるだけたくさんのお客さまを施術することが、技術上達のための早道。実際に施術しないと、似合わせだったり、お客さまの感情を掴む術は養えませんからね。90年代の僕は、1カ月500人をカットしていました。それが普通でしたし、今でも300人ほど切っていますよ。
- 1 2