SCREEN 神谷翼さんJHAグランプリや銀座出店はあくまで通過点。次々と新たな課題へと向かう挑戦者のびよう道〜
美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれもいいですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、国内外のヘアショーやコンテストで華々しい活躍をするスタイリストが在籍するクリエイティブサロン「SCREEN」。歴史と異国情緒を感じる神戸の街から全国に向けて、独特の存在感を放ち続けてきたサロンです。2020年には銀座出店も果たしました。代表の神谷翼(かみたに つばさ)さんは、2018年JHAグランプリのクリエイティブな美容師であり気鋭の経営者です。今回はそんな神谷さんが今に至るまでどんな「びよう道」を歩んできたのか教えていただきました。
ドライヤーの練習しすぎで、肩が上がらなくなったのがむしろ誇らしかった
美容専門学校を卒業してからPEEK-A-BOOに入社しました。アシスタント時代の僕は、それこそ狂ったように練習していましたね。とにかく同期や先輩よりも長く練習すると決めていたので、絶対に最後まで帰らなかった。先輩からも「ミスターストイック」というあだ名をつけられて、名前負けしないように余計に燃えていましたね。
一度、ドライヤーの練習のしすぎで肩が上がらなくなったこともありました。むしろ勲章みたいな感じで、目一杯やっていることが自分の自信になっていたんですよね。今も忘れないのは、初めてのカット試験。セットするときに何もつけちゃいけないという制約があったんですが、僕はどうしてもツヤツヤにしたかったので、自分の顔の脂をウィッグの髪につけて仕上げたんです(笑)。試験官にも「これ本当に何もつけてない?」と聞かれて「つけていません!」と答えたりして。そのときにテストで1位を取ることができました。こんな感じでどんなテストでもやれることは全部やってきたし、命をかけてやっていたんですよね。
誰よりも手数を増やすだけじゃなくて、自分の頭でめちゃくちゃ考えていました。僕は今もカットは頭脳だと思っています。そのヘアスタイルの構造を頭の中で展開してつくっていく。教えられた理論をそのままやるんじゃなくて、一旦、頭の中で噛み砕いて自分なりに再構築していく。そんな感じで手も頭もずっと動かし続けていました。その甲斐あって僕はその当時の歴代最速でスタイリストデビューすることができたんです。
「神谷翼というダークホースが現れたよ」忘れられない恩師の言葉
美容雑誌も誰にも負けないくらい読んでいたと思います。技術の理論が説明されている本からも学んでいました。これもただ読むだけではなく、なぜそのデザインになったのか、どのようにつくられているのか考えながら見ていました。自分ならどうつくるか考える習慣ができたのは技術向上に多大に影響したと思います。
モチベーションの源泉になっていたのは「絶対に売れる人になりたい」「クリエイティブなものをつくる人になりたい」という想い。大きなヘアショーの舞台に立つ日を思い浮かべていました。スタイリストデビューも通過点としか見ていなかったです。
デビュー月の売上は130万円くらいだったと思います。せっかく最速でデビューしたのに売上がついてこないのはカッコ悪いから、お客さまを集めるために必死でしたね。友達の大学の食堂に行って名刺を配ったり、飲めないのにクラブに行ってそこでも名刺を配ったり、モデルさんの友達や家族を紹介してもらったりとにかく売り込むことを欠かしませんでした。今振り返るととにかく必死で、美容師人生の中で一番しんどい時期だったかもしれない。声をかけると怪しまれるし、断られることがほとんどだし。クラブでは「行く行くー!」と言ってくれていた人がさっぱりこなかった。それでもやれることは全部やった結果の130万円でした。
PEEK-A-BOOの川島先生から、月1回の全スタイリストが集まるミーティングのときに「神谷翼というダークホースが現れたよ」みたいに言っていただけたときも嬉しかった。ダークホースのように刺激を与えられる人にならないといけないと思いましたね。
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