美容師の「当たり前」を破壊し、「新しい在り方」を創造したい Bruder/後藤ユースケさん

 

原宿を代表する有名店2店舗を経て、OCEAN TOKYOの立ち上げメンバーの一人だった後藤ユースケさん。OCEAN TOKYO shibuyaの代表を務めたのち、家業を手伝うために惜しまれながら退職。そして、例えば家業との兼業のような新しい働き方を自らつくり出すためにBruderを立ち上げました。今回の独立theoryでは後藤さんの独立の経緯と、サロンづくりの考え方について伺いました。

 


 

美容師生活10年を経てOCEAN TOKYOを退職した理由

 

 

20歳からの10年間、東京を代表するようなサロンで美容師をすることができました。AKROS時代から中村トメ吉さんと三科光平さんとともに働き、東京でトップクラスの人気を誇るメンズサロンに押し上げました。OCEAN TOKYOでは立ち上げから参加し、知名度ゼロから、日本を代表するサロンに育てていくという、これ以上ない刺激的な体験をしました。しかも、OCEAN TOKYO Shibuyaでは3年間代表を務めさせていただきました。

 

 

そんなかけがえのない時間を過ごしたOCEAN TOKYOを退職して、独立した理由はいくつかあります。

 

まず大きかったのは、10年間の美容師生活を経て「美容師の離職率を減らし、美容師の在り方を根本的から見直したい」という想いが膨らんだこと。美容師は10年間で92%が離職すると言われています。この異常な状態をなんとかしたかったのです。

 

その一方で、美容師を続けているうちに、あらゆる角度から人の人生に好影響を与えるこの仕事は世の中で最も可能性を秘めていると本気で思うようになりました。しかも今後、どんなに優れた人工知能が普及したとしても、美容師は社会に不可欠なインフラ的な存在であり続けるはずです。だからこそ自分の手で、美容師の可能性を広げる環境をつくりたいと思いました。

 

そう思い至ったタイミングで、父との約束通り家業を手伝うことが重なり、前サロンを退職することに。僕の実家は茨城県笠間市の寺院。父が公務員の仕事と兼業で住職をしていました。兄とともに跡を継ぐことが決まっていて、僕も30歳までは全力で美容師をして、その後は家業を手伝うという約束をしていたんです。こうして僕は、美容師と家業の両立をしながら、新しい働き方を実現する環境をつくるための独立に向けて踏み出しました。

 

>たとえば、自分が作った野菜をサロンで売る…そんな生き方も素敵だと思った

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