水商売と勘違いされた美容師を憧れに変える。中国で盛り上がる美容室文化の実態とは?―IDEA 佐藤恵理さん
少子高齢化で日本の美容業界の市場が縮小する一方で、ここ数年の経済や文化の発展が目覚ましい中国では、美容業界が盛り上がりを見せています。中国人スタイリストを対象にした日本人美容師によるセミナーも増えてきているよう。
そんな中国の美容の状況を探るべく、今回お話をうかがったのは上海で3店舗を展開する日系サロン『IDEA』のクリエイティブディレクターを務める佐藤恵理(さとうえり)さん。佐藤さんは、「2000年代、中国では女性美容師は水商売の人間だと勘違いされるほど職業への理解がなかった」と語ります。そんな時代を経て、なぜ中国の美容業界が盛り上がりを見せはじめたのか。中国人の意識変化や美容業界の過去を紐解きながら、中国の美容業界の実情に迫ります。
15年以上前からファッションが盛り上がっていた上海。ショーの手伝いをきっかけに、拠点を移す
2004年に中国に拠点を移し、現在まで15年間、中国の美容業界で働いています。それまでは5〜6年ほど、日本の美容業界で働いていました。
もともとヘアメイクと美容師の両方をやっていきたいと思っていたので、銀座のサロンと青山のヘアメイク事務所の2つに所属していました。中国に拠点を移すことになったのは、青山のヘアメイク事務所がきっかけ。ファッションショーなどでもヘアメイクを行う事務所だったのですが、あるとき上海のファッションショーのお手伝いをする仕事があったんです。当時は「上海にもこんなファッションショーがあるんだ!」と驚きました。また、ヘアメイクがいるにも関わらず、モデルさんが自らメイクを変えたりするんです。モデルのわがままで変化してしまった独自のショー内容に衝撃を受けました。
その後も定期的に上海に出張する機会があり、会社としても「こんなによく仕事をするなら、事務所を作ろう」という話になりました。そのプロジェクトに参加したことが、上海に拠点を移した最初のきっかけです。
しかし、事務所を作ってみたものの、いろいろとうまくいかないことが重なってしまって……。移住から1年たたずに会社は撤退。しかし、変化の激しい上海の生活がおもしくて気に入っていたので、帰国せずに日系サロンで働くことを決めました。
大家に「3日後に出ていってほしい」と言われて。不確かなことの多い営業環境
働いていたのは日本人をターゲットにした日系の美容室。当時の上海には珍しい開放感のあるブルックリンスタイルの内装に加えて、日本人の美容師ばかりだったので、とても人気のあるサロンでした。当時のカット料金は200元(3000円)ほど。上海に住む日本人が激増しはじめた時期だったのですが、日本の方はやはり日系サロンでカットしたいようで、お客さまは8割ほどが日本人でした。あのころ、上海で生活していた日本人なら一度はきてくれたんじゃないかと思うくらい、毎日賑わっていましたね。
2年ほど順調に営業を続けていたのですが、大家さんからいきなり「3日後にこの場所から出ていってほしい」と言われてしまって……急ですよね(笑)。でも、中国では大家さんの意見や、たまたま店の前を通りがかった政府の人の一言で営業停止になることも少なくないんです。日本と比べると先の見通しが立てづらい、不確かな環境だと思います。
大家さんから衝撃の一言を聞かされたとき、ちょうど2号店として準備していた場所があったので、その場所を『IDEA』の1号店にして2007年にオープンしました。上海では有名な歴史あるホテルの中というロケーションもあって、これ以降は、富裕層から広まり、中国人のお客さまが増えはじめ、だんだんお客さまの大半が中国人となり、2号店、3号店の出店につながっていきました
2000年代の中国で、美容師は馬鹿にされる職業だった
『IDEA』にはスタイルのコンセプトはありません。ただ、社長は「“一人ひとりが、やりたいことができるサロン”にしたい」とよく話しています。そして、美容師が自分の力でしっかり稼いで生活できる環境を作ることを目指しています。
『IDEA』ができたころ、中国で美容師は軽く見られていました。給料も安く、労働環境もひどいもの。女性の美容師は、水商売で働いている人と勘違いされていました。そういう状況を見てきて、きちんと中国人のスタイリストを育成して、現地で美容の文化を一緒に作っていきたいという思いがあったんです。それは今も変わりません。オープン当初にアシスタントだったスタッフは、人気スタイリストに成長し、自分の店を持ち、家も買って、結婚して幸せな家庭を築いています。上海での豊かな暮らしを手に入れた彼女らの姿は、自分のことのようにうれしいですね。
>カット150円から10万円まで。相場が存在しない上海の美容室の実情とは?