内田聡一郎さん。ヘアライター佐藤友美がみた”美容師列伝” 第18回「牽引する人」
「ヘアライター佐藤友美がみた 美容師列伝」。日本全国の美容師を取材してきたヘアライターの目線から、毎回「●●な人」を紹介し、その素顔に迫る新企画です。第18回めはveticaの内田聡一郎さん、「牽引する人」です。
内田聡一郎はみんなの内田聡一郎
自分の身体だけれど、自分だけの身体じゃない。
本人がのぞむ、のぞまないに関わらず、世の中には、そういう人がいる。
例えば、みんなが憧れるスポーツ選手。
熱狂的なファンがいるアーティスト。
次世代の旗手と目されるデザイナー。
内田聡一郎さんも、そういう人だと思う。
veticaの内田聡一郎なのだけれど、日本全国の数多くの美容師さんたちの憧れであり、次は何をしてくれるのかって期待される存在であり、そしてお客さまにとってはかけがえのない人生のパートナーであり、いろんな人にとっての「こうなってほしい内田聡一郎」「こうであってほしい内田聡一郎」がいて。
つまり、業界の宝であり、スターである存在、なわけです。
そういう人生って、端から見ていたら、とても華やかでかっこよく見えるけれど、おそらく本人にとっては、きっと大変なこともあるんだろうと思う。
私が内田さんと出会ったのは、読者モデルとして注目を集めていた「うっちー」から、業界誌で引っ張りだこになり、デザイナーとして押しも押されぬ存在感を示し始めた頃のことだった。
初の自著を出版する1年くらい前だったと思う。
その頃の内田さんは、見ているこっちの目がまわるくらいの忙しさで働いていた。サロンワークに撮影に(雑誌だけではなく、当時話題になったテレビの収録も長丁場だった)、インタビュー取材の対応に、ひっきりなしに頼まれる講習。そしてコンテストの審査員と、ご自身のヘアショー。
内田さんはモデルさんを使い回すようなこともなかったし、同じような演出で舞台に立つことは絶対していなかったから、その準備はどれくらい大変だったろう。全国を飛び回っては、その前日はクラブでのDJ。
さらに彼は勉強家で、読書量も半端ない。当時まだいまの店舗に引っ越しする前のveticaには、内田さんが読み終わった本が並んでいる「内田コレクション」があったのだけれど、道行く人が本屋とまちがえて時々入ってくるというくらいの分量だった。
そして、その中身は、アイドル本にはじまり、デザインの本、写真集、小説、それからビジネス書と、本当に幅広かった。
この頃の内田さんの睡眠時間は毎日数時間だったと聞いている。
そして私は会うたび、「あのさ、ちゃんと寝ないと、ほんとに死ぬよ」と言っていた気がする。
あの頃の内田さんは、何かに取り憑かれていたように、疾走していた。少なくとも、私にはそう見えた。
それはもちろん、自分自身がもっと向上したいという気持ちがモチベーションだったろう。
でもそれだけではなく、内田さんなりに「美容業界を代表するデザイナー」と言われ続ける自分が、低いクオリティのものを出してはいけない。業界を牽引してきた先輩たちのように走り続けなければ。
きっと、そういう使命感も感じていたのではないだろうか。
ある日、彼は、倒れた。
- 1 2