1年目は毎日涙…苦しみの先には必ず喜びが待っている ―DIFINO 富田里穂さん U29次世代美容師―
次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長のヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第17回目はDIFINO赤坂店で売り出し中のスタイリスト富田里穂(とみたりほ)さんです。1年目は毎日のように涙していたという富田さんですが、現在は素敵なお客さまに囲まれて伸び伸びと活躍しています。今回はそんな彼女に、これまでの歩みを振り返っていただきました。
「将来は美容師になる!」と小学生のころから宣言
小さい頃から髪をいじるのが好きで、小学校のころには「美容師になる」と言っていました。小学校、中学校でも友達に恵まれて、いつも誰かと一緒に遊んでいるような生活を送っていましたから、友達はみんな私が美容師になりたがっていたことを知っているんですよ。
高校時代はアルバイトに明け暮れていました。自分のなかで美容師をすることは決まっていたので、自由に時間を使えるうちに、いろいろな仕事を経験しようと思ったんです。千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)でビールの売り子をしたり、カフェでアルバイトしたり、ピザのデリバリーをしたり…じっとしているのが好きではないので、スケジュールにぎっしり予定を詰め込んで、仕事も遊びも楽しんでいました。
アルバイトを通じて学んだこともたくさんあります。たとえば、ビールの売り子はみんな同じことをしているはずなのに、人によって売上の差がとても大きいです。どうしてかな? と思ってお客さまに支持されている売り子さんをよく観察し、自然な声の掛け方や、コミュニケーションの取り方を勉強しました。そのときの経験は、美容師になった今も役立っているかもしれません。
専門学校時代に「やればやるほど上達する喜び」を知る
高校卒業後の進路に日本美容専門学校を選んだのは、活躍している卒業生が大勢いますし、モチベーションの高い学生が多そうだ感じたから。美容師になるからは、基準値を高く設定してやっていこうと思っていました。能力や意欲が高い人たちのなかで頑張れば、いい刺激をもらえるし、その分成長できると考えたからです。反対に最初から基準値を下げてしまうと、あとで大変になるだろうなと思っていました。
専門学校時代の仲間とは、毎週のように遊びに行っていました。今となっては当時のメンバーもみんなそれぞれのステージで活躍しています。あんなにふざけあっていたのに、立派に活躍しているので当時の先生もびっくりしているんですよ。
もちろん学生時代、ずっと遊んでいたわけではありません。私は負けず嫌いな性格なので、中間・期末テストやコンテストの前は、アルバイトが終わって家に帰ってからも練習したりしていました。とくにやればやるほどクオリティが上がるワインディングやセットが好きでしたね。作業を繰り返していると、自分の体に技術が染み込んでいくような感じがしました。
トニー&ガイのコンテストも思い出深いです。あいにく専門学校の選抜メンバーには選ばれませんでしたが、メイク担当として決勝ラウンドが行われる武道館に行くことができました。モデル探しや衣装選びも一緒にやったので、とてもいい経験になりました。
人生最後の夏休みを満喫後、DIFINOの2次募集に応募
就職活動では、表参道、南青山エリアの有名店を中心に受けていました。夏前くらいには周りのみんなは就職が決まっていましたが、私は最終段階で落ちることが多くて…。気が付くと有名サロンの採用活動はほぼ終わってしまいました。
でもそこで私は、とりあえずどこかに入ることができればいいとは思いませんでした。最初の基準値を上げておくことが、その後の美容師人生に関わると思っていたので、諦められなかったんです。だから、一旦気持ちを切り替えることにしました。「とりあえず人生最後の夏休みを楽しもう!」って(笑)。
そうして夏を満喫したのですが、いつまでもそのままではいられません。少し焦り始めたときにMilbonのフォトコンテストの審査員を務めていた、DIFINO代表の土橋の存在を知ったんです。気になって調べてみると、DIFINOは自分の好きなスタイルを作っているし、偶然にも2次募集していました。最後のチャンスだと思って応募したところ、とんとん拍子で選考が進んで内定が決まったんです。
実は、DIFINOが2次募集を始めたのはそのときが最初で、うまく採用ができなかったら辞めようと考えていたのだとか。2次募集で入った私が辞めずに頑張っているので、その後も2次募集を続けるようになったのだそうです。
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