KATE代表 木下公貴さんに聞く、独立のベストなタイミングは? 〜3年間の勉強期間で独立への土台作りができた〜
有名サロン「SHIMA」に15年勤務し、銀座店の店長、エグゼクティブ・スタイリストとして活躍したのち、満を持して自らのサロン「KATE」を立ち上げた木下公貴氏。業界のトップとも言える名店で働きながら、みずからの目標をどのように描いていたのか、そして、独立という目標にむけてどのようなキャリアプランを考えていたのかを伺ってきました。
自分が理想とするお客さまでいっぱいにしたかった
-木下さんが美容師になろうと思ったきっかけは?
「僕は宮崎県の都城市出身なのですが、中学生の頃にSHIMAで活躍している都城市出身の美容師さんがいることを知り、『カッコいい』と思って美容師になることを決めました。その当時から、SHIMAといえば、業界の最先端でしたから、その美容師さんは有名で、彼みたいになりたいと思っていました」
-専門学校はどちらに行かれたんですか?
「福岡の大村美容専門学校と熊本のベルエベル専門学校で悩みました。その当時は、福岡よりも熊本の方がおしゃれな人たちが集まっていると思っていて、それもあって熊本の専門学校に行くことにしました。今でも熊本には、大衆に流されないコアな感じのおしゃれが好きな、ちょっととんがった人たちが多いんじゃないかな」
-専門学校では、どういう生徒だったんですか?
「その当時、美容学校は1年制で、そのあと1年間インターンをするというスタイルだったんですね。学科とワインディング、セットローション(フィンガーウェーブ)などの授業が行われ、カットはインターンに行った先で学ぶという感じでした。カラーやネイルの授業もあったけど、それは受けたい人だけが受ける特別授業だったんじゃないかな。その学校の特徴は、グループ活動を重視するというところ。授業のほとんどが8人のグループで行われ、課題でも1人ができても、全員ができなきゃダメという感じでした。僕はリーダーをやることが多かったのですが、そのときのグループが一丸となってというところは、今の仕事にも活きているのかなと思います」
-希望の就職先は、初志貫徹でSHIMA1本だったんですか?
「そうですね。実は、ありがたいことに福岡のSHIMAの店長から、入ってほしいと誘ってもらっていたんです。でも『やはり東京に行きたい』とお断りをして。そうしたら、それをSHIMAの専務に伝えてくれて。福岡で面接試験を受けた後、晴れて入社することになりました」
-どうしてもSHIMAに入って東京に行きたかったんですね。それでは、スタイリストデビューも早かったのでは?
「それが…かなり遅かったんですよ(笑)。ヘアメイクにも興味があったし、ほかにもやりたいことがいっぱいあって、全然集中できていなかったんですよね。若かったので遊びたい気持ちもあって。子どもだったなと思います。好奇心おう盛だったんですよね。結局、スタイリストになるまで、丸5年くらいかかりましたね。スタイリストになってからも、『自分の理想のお客さまでいっぱいにしよう』という気持ちが強すぎて、全然、売り上げが上がりませんでしたね」
-「自分の理想のお客さまでいっぱいにする」って、よいことに聞こえますが。
「ファッションも好きだったし、おしゃれをすることがすごく好きだったんです。だから、そのときに流行している髪しか切りたくないと思っていたんですよね。自分の理想のお客さまというのは、つまりは『そのときに流行している髪型に切らせてくれる人』。子どもっぽいし、とてつもなく自分本位ですよね。プロとしてレベルの低い話です。もちろん、ほかのお客さまに対して手を抜いていたわけではないけれど、どこかに『本当はこんなカットはしたくない』という気持ちが出ていて、それがお客さまにも伝わっていたんでしょうね。
でもあるときから、美容師としての価値観が変わったというか、いかにお客さまを幸せにできるかということを考えるようになったんです」
-そういう、『自分本位』な気持ちからの変化が現れたのはいつ頃からですか?
「先輩から、『自分がお客さまを選んでいるようではダメ。目の前のお客さまに集中してみては』と言われ、そこから気持ちが変わって行きましたね。自分の中で腑に落ちたというか。その当時は、本当にいろいろな先輩から話をしてもらいました。きっと先輩方も、その当時の僕をどうにか再生したいと考えていたんだと思います。いろいろ厳しい意見もあったのですが、それでも『力を入れすぎなくていいんだよ』と言ってもらえたような気がして。当時は、第一線にいたいという気持ちが間違った方向に向かっていたので、美容師としての本質を教えてもらえたことで、価値観が変わりましたね」