SHACHUみやちのりよしさんのびよう道 〜10年売れてない美容師から応援団長へ!口座残高7万円からの逆転劇〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

今回は、東京のデザインカラーの文化を開拓したSHACHU(シャチュウ)の代表、みやちのりよしさんが歩んできた「びよう道」に迫ります。独立前は売れない美容師だったみやちさんが、どうして渋谷を代表する美容室をつくることができたのか。今頑張りが報われていないと感じている美容師さんにぜひ読んでいただきたいインタビューです。

 


 

働いても、売れっ子になれなかった

 

 

僕は美容師になったばかりのころから、とにかく仕事も遊びも全力で、睡眠時間を削って生きていました。美容師は技術職だから、練習しないとうまくならないじゃないですか。できない技術をそのままにするのは我慢できなくて、終電を逃してでも、できるようになるまで練習していました。

 

ただ、要領がよくなかったので、器用な女の子たちが自分よりどんどん先に技術習得を進めていたり、後輩に抜かれたりということもありました。後輩が先にデビューしたのに僕は全然できていなかったり、デビューしたあとも売上が30万円未満だったりしたので、悩んだ時期がなかったかといったら嘘になります。それに、1日15時間くらい稼働していたので「運送業とか別の仕事で同じ時間働いたほうがよくない?」と思ったこともありました。

 

 

あと、僕はファッション業界の友だちが多くて、みんな服にお金をつかってオシャレしていたし、僕も服が好きだったから、やっぱり買っちゃうんです。クレジットカードを使いまくって借金が200万円超えたこともありました。25歳で200万円の借金は重いですよね。だから仕方なく服を売るんだけど、また買っちゃって赤字が増えていく…そんな有様でした。

 

もうホントに食うのに困るくらいだったんですけれど、ご飯やパスタなど恵んでくれる人もいたし、身の回りの人に支えられて生きていた感じです。

 

独立前の月売上は30万円程度…それでも必要とされていた理由

 

 

結局、僕の売上は独立するまで月売上30万円から50万円くらいでした。銀座の店舗で、10代、20代の女の子にハイトーンカラーをしようと思っていたので、まあ無理がありますよね。しかも、「フリーのお客さんは要りません」って宣言して、自分でハントしていました。「ハイトーンで銀座の街を変える」というのが僕の目標だったんですけれど、無謀すぎるじゃないですか。売上が上がらなかった理由がよくわかります(笑)。

 

売上が少ないと会社に居づらくなることもあると思うんですが、僕は後輩のスタイリストのヘルプをするときも一生懸命だったし、来たお客さんを喜ばせるために全力だったから、「みやちは売れなくてもサポート頑張っているから」という感じで、退職のプレッシャーをかけられなかったのかもしれません。先輩も後輩も関係なく、チームワークでお客さまを喜ばせることをいつも考えていたし、スタッフルームでサボる先輩にはなりたくなかったので、そういうところで認めてもらえていたんじゃないかな。

 

 

僕って、見た目がチャラそうじゃないですか。だから、どうしたらお客さまが喜ぶ立ち居振る舞いができるかなとか、声のトーンはどんな感じがいいのかなとか、考えまくってましたね。売上こそなかったけれど、営業は楽しかったし、必要な存在だと認めてもらえるように頑張っていました。

 

もしかすると、僕が配属されたのが銀座じゃなくて、原宿だったらもっと早くハイトーンで売れていたかもしれないけれど、苦しい時期があったから調子に乗ることもなかったし、人間としても、美容師としても幅が生まれたのかなと思います。

 

>SHACHUの初月売上は100万円未満…口座残高はわずか7万円に!

 

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