easy punk考案・ヌマタユウト直撃!MERICAN BARBERSHOP TYOオープンから1年。渋谷から発信する神戸発ネオクラシックなバーバー文化

 

 

SNSで火がつき、世界各国を席巻中のメンズヘアデザイン「EASY PUNK(イージーパンク)」。仕掛けたのは、神戸発祥の『MERICAN BARBERSHOP(メリケンバーバーショップ)』でクリエイティブディレクターを務める、ヌマタユウトさんです。ブリーチとパーマを駆使し、アジア人の髪質ではなしえなかった質感や毛流れを再現。その革新的デザインは、いったいどのようにして生まれたのでしょうか。また、バーを併設した福岡店の斬新な店舗づくり、高校サッカー部のヘアカット支援など、業界に続々と新しい風を吹かせるヌマタさんが次に目指すものとは…? レディースサロンからスタートしたキャリア遍歴を伺いながら、大切にしてきたマインドのお話など盛りだくさんの内容でお届けします! 

 


 

まずは、ヌマタさんのキャリア遍歴からご紹介

 

——ヌマタさんがMERICAN BARBERSHOPに参加されたのは5年前ということですが、もともとはレディースサロン出身だとか? 今の雰囲気からはちょっと想像つかないですけど…。



 

そうです。新卒入社で、大阪に数十店舗ある大型店に10年ほど勤めていたんですけど、もう鳴かず飛ばずで全然ダメでしたね。全く売れなかったです。入社前から入れていたタトゥーも、お客さまからは「怖い」とダメ出し。若さゆえの”根拠ない自信”だけはめちゃくちゃあったんですけど、デビューして1年、2年と経っていくのにいっこうに顧客がつかなくて。歩合制になってからは月収5万の期間も経験し、思い切り鼻をへし折られましたね。それで、”敗北”を認めたんです。「俺はできる」っていう変なプライドを持ち続けると、そのせいで人との関係が悪くなったり、人への見方が悪くなって孤立したりとか、状況がどんどん悪くなっていくんですよ。売上が上がらないという現実を敗北と捉え、じゃあ何を変えようか?っていうマインドに変えました。とはいえ、自分を信じる力は芯として持ち続けましたけどね。過大評価を捨てたということです。


 

 

——敗北を認めて、具体的にどう動いたんでしょうか。

 

アンテナを広げていたときに、MERICAN BARBERSHOPのスタッフが主催するフェードカット講習と出会ったんです。実際に切りに行って、「これ好きやな」って直感で思ったんですね。俺もバーバーをやりたいと。

 

その頃の夢が、ニューヨークで美容師になること。東京をすっ飛ばしてニューヨーク行くぞっていうノリだったんですけどね。某ニューヨークのサロンで働いていた日本人美容師のトミーさんから、一度ニューヨークにきてサロンで働いてみたら?と声かけていただいて、その後ちょくちょく通ってお世話になっていました。

その後、トミーさんはニューヨークで出店に向けて動き始めて、俺もそこで働くためのビザまわりを色々考えてくれたのです。でも壁は高く、諦めることに。

 

それでニューヨークのサロンへの参加を断念して帰国しました。そのタイミングでMERICAN BARBERSHOPの社長と出会って、本店(神戸)で働くことになったんです。



 

——それが5年前ですね。レディースサロンからメンズサロンへの転職は、またイチからという感じだったのでは?

 

技術レベルがすごく高いので、腕を磨かないと生き抜けないと思ってましたね。とにかく練習しかないと思ったので、入社前から大量にウィッグを買い、ひたすらフェードカットを始めとするメンズカットを練習しました。社長に紹介していただいた講師の元に通って技術を学んだり、周りの力も借りながら練習の日々でした。バーバーのスタイリストとして入社しましたが、最初はお客さまがいなかったのでアシスタントもしました。集客サイト用のモデル撮影をたくさんして、少しずつお客さまをつけていった感じです。


 

>「人と違うことを」クリエイティブ能力が開花



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