MINX 高橋マサトモ 採用のための『ジャパン・ツアー』!?【GENERATION】雑誌リクエストQJ1994年4月号より
雑誌「リクエストQJ」創刊以来の看板企画「GENERATION(ジェネレーション)」。
昭和〜平成〜令和と激動の美容業界において、その一時代を築いてきた美容師さんを深堀りしたロングインタビューです。
300回以上続いた連載の中から、時を経た今もなお、美容師さんにぜひ読んでいただきたいストーリーをピックアップしていきます。
今回は1994年4月号から、『MINX』高橋マサトモさんのインタビューをご紹介。長年ブランドサロンとして業界の前線を走る、MINXの立ち上げから9年目の頃のお話です。高橋さんが先見の明を持ってスタートし、当時の美容業界を席巻したMINXのジャパン・ツアーとはどのようなものだったのでしょうか。ぜひご一読ください。
ライター:岡孝司
毎年、新しいコンセプトを打ち出し
流行の最先端を疾走してきた『MINX』は今年、
“ジャパン・ツアー”を開始する。
「ほとんどの美容師さんは、お店でやっていることと、業界誌で自分の作品を発表することが同じであるような気がするんです。でもぼくの場合は全然違っていて・・・」
「同じ撮影でも読者が一般の方々だったりすると、それに合わせたヘアスタイルを考える。美容師さん対象の雑誌なら、美容師対象のヘアスタイル。サロンのお客さまに対しては、そのお客さまを対象とした仕事をする」
「サロンは大事なんです。だからお客さまに喜んでもらうためには何が必要かをつねに考える。するとスタッフが必要だ、と。お客さまに喜んでいただけるスタッフが数多く揃ってることが大切だ、と」
「それからどういうお客さまに来ていただきたいかを考える。若くて、ファッションを語れるお客さまが来てくださればスタッフも喜ぶし、お店としてもうれしいですしね」
「するとスタッフを揃えるために、どうしてもその対外的な作品発表とか、ステージというのがぼくには欠かせないわけですね。つまりぼくらにとってステージや雑誌の仕事は、採用活動のひとつでもあるわけです」
『MINX』が計画している“ジャパン・ツアー”。
それが成功すると、美容業界には全く新しい風が吹き始める。
美容の道を進もうとする人々にとって
あるいはすでに美容師として仕事をする人々にとって
『MINX』の挑戦は大きな意味を持つ。
美容の新しい歴史の扉を開けるのは彼ら、である。
下北沢で生き抜く価値
下北沢駅北口の階段を降りると、目の前に『ピーコック』というスーパーマーケットがある。その左隣には富士銀行。右手手前には昔ながらの市場が軒を連ねている。大手スーパーマーケットの目の前にありながら、長い間地元の人々の支持を得てきた市場は、若者の街の中にあって異彩を放っている。
下北沢という街の新陳代謝は激しい。
たとえば1カ月、その街を歩かないと全く違う顔を見せていたりする。
特にバブル期には企業が次々とパイロットショップを開き、新商品の売れ行き動向等を調査していた。また多くの飲食店は開店と閉店を繰り返し、自然淘汰されていったのである。
だが、その渦中にあって、以前と変わらぬ店が今でも繁盛していたりする。
数十年も前から下北沢の顔のひとつとして生きつづけている市場は別格としても、多くの飲食店、衣料品店などがしたたかに生き抜いている。
それらの店は味や価格、品揃えやサービスなど、その店だけにしかないオリジナリティーを売り物にして下北沢を生き抜いてきた。
そして美容室も、その例外ではない。
ちょうど3年前のことである。私は下北沢北口の、富士銀行の裏手の通り沿いにある美容室の取材をした。
それはこの『リクエストQJ』誌の、記念すべき創刊号の記事の取材だった。
美容室の名は『MINX』。
そして取材対象はその代表である“高橋マサトモ”であった。
当時、私は美容に関しては全くの素人であった。
その素人が、最初に出会った美容師が彼であった。
彼は素人の私に、さまざまな言葉を駆使して、できるだけわかりやすく自らの仕事を語ってくれた。そして私は、彼の言葉を文章にまとめた。
だがその後、レギュラー記事として30数人もの先端を疾走する美容師たちに話を聞くにつれ、私の中に『MINX』と、高橋マサトモという美容師の像がふくらんでいった。
なぜなら何人もの美容師が、彼の名前を問わず語りに口にし、意識していたからだ。
つまり高橋マサトモは、一般の顧客はもとより、まず美容師たちがその名を意識する有名な美容師だったのだ。
創刊3周年を記念して、再び彼を取材する、という話を編集部から聞いた時、私はぜひお願いします、と言った。
あれから3年、彼は今でも下北沢で生き抜いている。
いや、それどころか彼の名は、今や全国に鳴り響いているというのだ。
超多忙な彼のスケジュールに合わせ、私たちが下北沢へ向かったのは2月下旬の、ある風の強い日であった。
『OVER』というコンセプトの意味
私が取材を前にして獲得したキーワードは、『OVER』であった。
ある美容雑誌に掲載されたコンテストの優勝作品。それが高橋マサトモの仕事であり、その作品のコンセプトが『OVER』と表現されていたからだ。
「OVERというのは去年のコンセプトなんですよ。何々を超えて、という意味でね、たとえば従来のヘアスタイルを超えていこう、と」
彼の、当時の作品は“崩れたバランス”を絶妙に表現していた。
「OVERの根底にあったのはSELFという意識なんです。つまりその人のためだけのヘアスタイルを心掛けていこう、と」
「流行は探す時代から選ぶ時代に入ってきている。これだけ情報が氾濫している時代ですからね、お客さま自身も流行を選ぶ時代になっている」
「また美容師、つまりつくり手も、今の流行とか、業界の中での作品発表でウケを狙うためにスタイルを探していた時代から、選ぶ時代になってきている」
「その時、美容師には何が必要か。それはオリジナリティーだ、と考えたわけです。オリジナリティーを持ってその人のためだけのヘアスタイルを心掛けていこう、と」
「それを具現化するのがOVER。何々を超えてとは、いろんなことに載せている言葉なんですけどね。髪の毛を超えちゃうとかね」
「超えちゃうというのは、たとえば長さの違いを出す。そうすることによって、今までかわいくないと思っていたスタイルが、その人だけにとっては非常にかわいく見えたりとか。ウェーブでも人と違うウェーブを一所懸命考えてあげたり・・・。そういう仕事をやってきたんです」
つまり『OVER』とは、それぞれの顧客のためだけに、従来の発想を超えて柔軟にスタイルをかたちづくっていく、という決意の表現でもあったのだ。
しかし彼は『OVER』を「去年のコンセプト」だと言った。
では今年は、何か・・・
「理論と哲学。それがテーマになっています。そしてコンセプトはCONTENTS、つまり内容」